なんにもないけどなんでもある。
そんな場所だった。
田舎で育ったが、テレビや映画で見るような温かい近所の交流などなかった。
しかし、私の小学生の時の通学路は、地平線を覆い尽くすほどの田園が広がっていた。
家族は貧乏で、娯楽品は買い与えて貰えなかった。今日一日を生ききることで精一杯だった。
それでも家の中だけは幸せだった。母は微笑み、父はまだ幼かった私と仕事で疲れてるだろうに沢山遊んでくれた。

わたしのふるさとは、よくあるチェーン店が乱立する便利な場所ではない。
車が生活必需品で、スーパーに行くのにも疲れてしまうような所だった。
そんな中で育った。
そんなふるさとから旅立って数年後、ようやく私のふるさとの良さみたいなものが分かるようになってきた。
だから綴ろうと思う。
なんにもないの中にあった、なんでもあるを。

疲れた私の愚痴を聞いてくれたのは、この森で1番大きな幹をもつ大樹

こんな田舎だったから、小学校や中学校に行くのも疲れた。そして私は小4からいじめを受けることになる。
私は発達障害を持っていてコミュニケーションが苦手だ。よく失言もしてしまう。子どもにはまだそんな事言われても本当の意味で理解できないだろうから、やっぱり気持ち悪くていじめてしまうのだろう。
私の安全基地は家しかなかった。
学校から帰るとき、段々と木々がふえ、より鬱蒼としてくると私の家に着く。
私はこの自然のトンネルみたいなのを、いじめられていた惨めな自分から家族に愛される、可愛い子に生まれ変わるような儀式のように感じていた。

いくら学校で誹謗中傷や避けられをされても、この緑のトンネルをくぐれば私はかわいいかわいい女の子になれる。
世界は理不尽で、上手くいく人はずっと上手くいくし、上手くいかない人はずっと上手くいかない。私は後者だった。
そんな私の愚痴を聞いてくれたのは、この森の中で1番大きな幹をもつ大樹だった。
大樹は聞いてくれた。
私がいかに辛くて死にたい消えたいか。しにたい。きえたい、と呟いては大樹はそれに答えるように枝葉を揺らすのだった。

理不尽な罵声に「生きてちゃだめなんだ」と気持ちに決着が着いた

ある日事件は起きた。
ある男の子が給食の配膳中に癇癪を起こし、私に給食のスープをかけるということがあった。普通だったらスープをかけた男の子を批判するだろう。しかし現実は逆だった。
クラスメイトも担任も男の子に駆け寄り、心配する声や、私がなにかしでかしたんだろうと言った罵声を浴びせてきた。私は給食当番だったからスープをよそってあげただけなのに。
理不尽だった。今はちゃんとそう捉えられるけど、その瞬間私が思ったことは「私って生きてちゃダメなんだ」。小4の幼子心に大きな大きな傷をつけた。
担任に言われた「謝りなさい」。私はパニックだったため、ごめんなさいと言ってしまったが、今思えば謝る要素はひとつもないことを理解している。
そして私はふらふらとしていた死にたいなという気持ちに決着が着いた。

死のう。

どうせならあの大樹にのぼってロープを垂らし、大樹と一体化したいと思った。
幸い家にはロープがあったからいつでも死ぬのは可能だ。
私の頭の中では「死ぬしかない死ぬしかない死ぬしかないこんな世界で生きていけない生まれてきてごめんなさい」と、そんな気持ちでいっぱいだった。
私は遂に、私が死ぬことで世の中がよくなるとさえ思うようになった。

ようやく天国へ行けると思った瞬間、ボキリと落ちた枝葉

自殺の日を決めた。
深夜から早朝にかけて首を吊る予定だった。
その日の夕食はハンバーグで幼い私の好物だった。
これが最後の晩餐か~と呑気に、でも泣きそうになりながら全てキチンと食べた。
あとは家族が寝るのを待つだけ。
こっそり家を出た。

歩いていくといつもの大樹があった。
私は予め用意した大きな脚立を180°にして大樹にかけた。
登る。
いよいよ死ぬんだという恐怖と、もう辛い思いはしなくていいんだという安堵でいっぱいだった。
ロープを枝に括り付ける。
括りつけてから30分は脚立の上でぼーっとしていた。なんか今だ!と思って首にロープを通した。息が出来なくなる。ビビって脚立に戻らないように脚立を倒した。

ようやく天国へ行ける。

そう思って嬉しい気持ちになった瞬間。
ボキリ
枝葉が落ちてしまった。
私は自殺に失敗した上で、骨折という無駄な負担がかかるようになってしまった。
なんて不運。私は自殺さえ出来ないのかと失望した。
でも大人になってからこう思うようになった。
いつも愚痴を聞いてくれた大樹が私を助けてくれたのだと。
悲しい運命を背負った者は同じく悲しい人を癒せるのかもしれないと。

いつも話を聞いてくれた大樹のうように、今度は私がなろう

今私はNPO法人のお手伝いをしている。
仕事内容は非行を起こす少年少女を適切な機関に繋げることだ。
これがなかなかに厳しい。
こういった非行を起こす少年少女は大体、家庭環境に問題がある。
闇雲に少年少女に声掛けしても意味はないのだ。
ご家庭に訪問することもある。
お金に困ってるならこのような給付金がありますよだとか、1回施設に頼ってみます?とか様々な改善策を提案する。
その度に、「うちの子はそこまでじゃない」と言われる。
それでも非行という行動が現れている限り問題があるのは確かだし、それは少年少女達のSOSなのかもしれない。
そもそも受け止めきれてないところから親御さんにも問題がある場合も多い。

その時にふと思い出すのだ。ふるさとの大樹を。
大樹は物理的になんにもしてくれなかったけど私の話を聞いてくれた。
人間誰しも私にとって大樹のようなものが必要なのではないか。
だから誓った。今度は私が大樹になろうと。

悲しい運命を背負った人はどうしてもいる。
だがその運命をどう乗り越えるか打ち破るか、一緒に考えることは出来る。
私はこれから大樹になって、悲しみの運命から1人でも多くの人の手を差し伸べるつもりだ。

あなたにとっての大樹は今もそこにありますか?