もう10年も前のことになります。
当時の私は高校生でした。
それまではこれといった挫折がなく、努力すれば何でも手に入れられると思っていました。
この考え方の根本は今でも変わりません。

しかし、一度私の中ではひどく挫折してしまって、光が見えなくなった時期があるのです。
その時に謝れていたらよかったのだけれど、どうしても自分のコントロールができず、ずっと心の奥の方でモヤモヤとしています。
言葉に出したい思いはあるのですが、その過去を目の前にするとどうしてもすくんでしまうので文章にしたいと思います。

バセドウ病を発症。寮と同じ敷地にある学校にも行けず、眠れず

高校2年生の夏から約1年間、体調不良に悩まされていました。初めは頭痛と微熱だけだったのですが、体の異常なだるさなど風邪のような症状がずっと続き、何度も病院に通いました。地方の小さい病院に行っていたので、原因が全くわからず、もらった薬を飲んでも体調は悪くなるばかりでした。頭が常にガンガンとなっていて、うるさくて何にも集中できませんでした。次第に体がだるくて少し動くのも息切れするようになり、自力ではなかなか起き上がれなくなっていました。

大きい病院で検査をすることになり、バセドウ病を発症していたことがわかりました。若かったので病状の進行も速かったのです。
学校の寮に入っていたのですが、敷地内にある学校にさえいけなくなっていました。そこから治療が始まり、体調は次第に良くなっていましたが、もう1ヶ月以上眠れていませんでした。
夜になると目を瞑っているだけで意識が途切れることはなく、ずっとベッドの上で戻してしまうので食事も水分もほとんど取れず、横になっているという状況でした。

自分の頭の中が空っぽになっていくのを止められませんでした

やりたいことがたくさんある時期でした。思うように動けないことが見えないストレスになっていたのかもしれません。知らず知らずのうちに比べてしまって、周りの同級生が羨ましかったのかもしれません。気付いたらうつ病を発症していたのです。
そこからの見える世界は、真っ黒でした。思い出すだけで恐ろしいです。寝たくても眠れない。四六時中、頭をガンガンと殴られているかのような音と痛みがしていました。

何かを知ることが好きで、物事を理解することが面白いと思っていたのに、物事の何もかもどうでもよくて、深く考えたり、覚えることができず、自分の頭の中が空っぽになっていくのを止められませんでした。余裕がなくコミュニケーションをとるのもどう振舞っていいのか判断できず、両親や、友人にきつい言葉を投げてしまっていました。
次第にクラスメイトや友人たちは離れていってしまい、孤独が苦しいけれど自分を傷つけている方が思考を保っていられる気がして、精神的に自分を追い込むような悪循環になっていました。全てをゼロにしたかったのかもしれません。

感謝はできても、謝罪ができず。ずっとモヤモヤが心の中に

毎日ベッドで早く死んでしまいたいと思っていました。そんな時、全力でサポートしてくれている両親に絶対に言ってはいけないことを言ってしまったのです。

命をかけて私を産んでくれた母に、
「どうして私を産んだの?生まれてきたくなかった。私は一生子供を産まない」と。
父も聞いていました。
世界で一番大切な二人を、この上ない位に傷つけてしまいました。

失えるだけ失って、もう失うものはないなと思うと決心がつきました。安定の学歴、安定の大企業の目標を捨て、好きなことを仕事にしようと思い、上京して猛勉強を始めました。
その環境が自分には合っていたみたいで、何度も波を乗り越えながら今は生きるのがとても楽しく感じることが出来るようになりました。割と競争社会の業界で、今は好きなことを仕事にして生活しています。

これも両親の愛とサポートがあったから自分の道を見つけられたのです。感謝は幾度となく伝えておりますが、謝罪はできておりません。両親だけでなく、昔からずっと親しくしてくれている、感謝してもしきれない数少ない友人たちにも数々の失敗を心から反省しております。感謝はできても、謝罪ができず、ずっとモヤモヤを心の中にしまっています。

ずっと心の中でしかできなかった謝罪をいつか直接声に出したいと思っています。過去の感情はどれも本当だったけれど、嘘だったと思っていたいのだと思います。
もう少し強くなって勇気を持てたら、直接言える時が来ると信じています。