女子高、女子大。わたしの、救いの場所だった。
「男/女」の別も、それによる制約もない世界。幼少期。親しいひとから性的被害にあったわたしは、いわゆる「男性恐怖症」だった。中学卒業後は、気づけば女子校を選び、7年間を女子生徒だらけの環境で過ごした。

女子大卒業後は男社会がまだ色濃い出版社に就職し、ただただ働く毎日

忌み嫌う記憶から、地元から離れたい一心で猛勉強の末に上京。著名なフェミニストを数多く輩出したことでも知られる女子大学に、身を置いた。
授業で、女性学やジェンダーにはじめて触れる度、「個人的な経験は、政治的なことでもある」のだと痛感した。どこかしんどい思いをしてきたのは、この生きづらさは、自分だけのものではなかったのだと。はじめて視界がひらけた気がした。

大学卒業後は、出版社に入社した。
書店営業を経て、編集者になってからは、連日連夜締切に追わる日々。始発で出社し、終電で帰宅する。休日返上はあたり前。
女子校とは正反対で、いわゆる“男社会”がまだまだ色濃い職場環境。負けないように、ナメられないように、ただただ働いた。
いま思えば、セクハラやパワハラも常態化していて、オーバーワーク気味で、声をあげる気力も体力すらも尽き果てていた。身体感覚も次第に麻痺し、平日や休日の境界も曖昧でぼやけていく。

輝かしい先輩とうつ病になった自分を比べ、つまらない人間に思えた

入社数年後。健康診断で引っかかり、精神科への受診をすすめられた。診断名は、「適応障害」「双極性障害」。医師によると、うつ症状の一種らしい(気力と体力には、人一倍自信があったのに……)。
自分を悔やみ、己の弱さを呪った。「社会不適合者」の烙印を押されたみたいで、情けなかった。仕方なく精神科へ通院しながらも、相変わらずの多忙さにかまけて、次第に通院しなくなっていた。仕事中だけは、「精神科へ通う患者」としての、弱いわたしを忘れられた。

そんなある日。母校の先輩数名に取材する機会が訪れた。
弁護士、国連職員、企業役員、起業家……。「女性活躍」「ガラスの天井を超えて」……。
声高に叫ばれる女性を取り巻く苦境をものともせず、ひたむきに進み、名だたる肩書を掲げ輝く“女性像”と対峙する度、自分がちっぽけでつまらない人間に思えてきた。
取材日前日から、毎晩憂鬱で仕方なかった。大学卒業から6年余り経っていた。
天から降ってくるような、先輩の声がぼやける。聞き取ろうとしても、ひとり、海底からは、一向に聞き取れないような、置いてきぼりにされたような、そんな感じだった。

タイでゆるやかに生きる人々と出逢い、何かが吹っ切れた気がした

その年の夏。疲労を引きずりながらも、逃げるようにしてタイを訪れた。
大学時代から、数十年通い、深呼吸できるような場所。「LGBT」と称されるような人々が多いことでも知られる国。
これまで、しなやかに、ゆるやかに生きる人々と多く出逢った。なかでも、トランスジェンダーでもある友人は、NGOの職員をしていたかと思えば、著名人の衣装の着付けやメイクアップをしたり、はたまたオンラインサイトを立ち上げ、リメイクした民族衣装を販売してみたり……。短髪にしたり長髪にしたり、女性的な格好も楽しんでみたり。
一言で断定できるような固定的な職業もなく、一体、何者かもよくわからない。男性として生まれたものの、現在は女性的に生きる友人を前に、何かが吹っ切れた気がした。
きっと流動的だって、いいのかもしれない。何者かなんて、正確に掲げられなくたって、いい。いま、たまたま身を置いている場所が、わたしのすべての世界じゃない。

自分自身が一番自分を縛り付けてきたんじゃないのか。
帰途の飛行機で、会社員を辞め、かねてより気になっていた大学院へ進学することを決意した。機内で、ちょうど28回目の誕生日を迎えた。
上司へ直談判した直後、新型コロナウイルスが世界をのみこんだ。
「こんなご時世に大学院なんて、うまみもないのに……」
そう引き止められた。そのことばは、もうわたしにとっては、むしろ激励にすら聞こえた。

わたしたちは、その時々で、咲けそうな場所に、身を置きなおせばいい

わたしには、きっと、立ち止まり、一呼吸つく時間が必要だった。浅い呼吸を続ける日々から、深呼吸している自分を感じられるくらいに。これまでの理不尽や疲労、諸々と向き合うための手立てを必要としていた。
そんなわたしは、また、大学のときのように、学びの場に救いを求めた。何者かも、定義できない不安定さ、無名性を引き受けて生きること。
もう29歳だ。いや、まだ29歳、なのかもしれない。
現在は、大学院生をしながら、研究をしたり、書店員をしたりして暮らす日々。立派な肩書がつき、親になりゆく会社員の同期を前に、安定な正社員という身分でなくとも、不思議とうしろめたさもなく、これまででいちばん生きている心地がする。
かつて「現代社会に適応できない自分は、社会人失格だ……」とまで落ち込んだけど、内心「こんな社会なら適応できなくて結構」と思えるまでには、盛り返してきた。
いい感じだ。そう自分に、声をかける。
不確実性の高いこのご時世。この先、どうなるか、正直自分でもよくわからないし、不安がないといえば、嘘になる。でも、こんなんでも、案外なんとかやっていける健やかな日々を、しばらくの間は愛でていけたらいい。
わたしたちは、その時々で、咲けそうな場所に、身を置きなおせばいいのだから。