子どもの頃からなんとなく、自分が「いい子」ではない自覚があった。
人を下に見るところがあったし、きっとこうすれば大人が喜ぶだろうと思って行動していた。人からの反応を考えてそれに合わせて振る舞う自分が、嘘をついているようで少し気持ち悪かった。
でも、人から認められたい、必要とされたい、愛されたいという気持ちは強かった。
私は「いい子」の振りをするしかないと思った。
学校でも職場でも「いい子」をやっていればいつか認めてもらえるはず
先生には笑顔で対応する、みんなが嫌がる役割も進んで引き受ける。テストでもいい点をとる。こうすべきだと思うことをするようにした。
先生も家庭訪問で話題が見つからないようで、いつも15分ほどで終わってしまっていた。話題すらない自分をつまらない人間だと感じた。
高校で進学校に入学した。周囲に勉強が得意な子も役割を自ら引き受ける子も多くなった。自分がいなくても滞りなく世界は回っていくことに気づいた。
テストの順位は40人中15位という可もなく不可もない位置に落ち着くようになった。
自分は何のためにここにいるのだろうと思うようになった。
大学を卒業して社会人になった。地元を離れて働き始めた。
自分の居場所を作らなければ、必要とされなければ、生きていけないと思った。
教わったことはメモを取り、頷きながら話を聞き、毎日笑顔で振る舞った。
人が離れていくことが怖くて、頼まれた仕事も誘われた飲み会も断れなかった。
自分の仕事が溜まっていった。終わらせなければ必要とされなくなると思って残業も休日出勤もした。
飲み会のときは気が使えないと思われないように、相槌を打ちながら飲み物の減り具合を気にしていた。話がほとんど頭に入ってこなかった。酔いが回りすぎないようにトイレの手洗い場の水を飲んでいた。
「いい子」をしっかりやっていればいつか認めてもらえるはず、必要としてもらえるはず、愛されるはずだと信じていた。
自分がやりたくないことばかりして、自分を一番認めていないのは私
就職して3年が経った頃、同年代の人たちが結婚や昇格をし始めた。
仕事でも認められず、誰かに愛されてもいない。どうして自分が求められないのか分からなかった。
どうして自分にはまだ居場所がないのだろう。でも今更「いい子」の振りをする他にどうしたらいいのかも分からなかった。
次第に笑顔で人と話すことが出来なくなってきた。苛立ちを人にぶつけることが増えた。夜眠れなくなった。益々人に苛立ちをぶつけるようになった。
家から出られなくなった。
ここまできて初めて、自分がやりたくないことばかりしていたことに気づいた。
こうすべきだと思うことしかやってこなかった。人から認めてもらうことで居場所を作ってもらおうとしていた。自分自身を一番認めていないのは私だった。
自分を認めるためにどうしたらいいかを考えるようになった。迷った時はどうしたいか、自分に問いかけてみることにした。
すべきでもやりたくないことはしない、やりたいけど出来るかなと思うことはやる。少しずつ自分が本当にしたいことに目を向けられるようになってきた。
頑張っているね。ちゃんと見ているよ。少し休もうか。今日は何をしようか。
誰かからかけてもらいたかった言葉を、今は自分に語りかけている。