東京で就活を終え、自宅へ帰る夜行バスの中。私はひとりカーテンに隠れ、静かに泣いた。涙で溢れた瞳から見えた東京の夜の光は、いつもより優しく柔らかかった。
その日を境に、私は歩みを止めた。いや、止まってしまったのだ。
大学4年の時、大学に就活、そしてバイトと多忙な日々を送っていた
当時、私は就職活動真っ只中の大学4年生だった。ただ少し、普通の大学生に比べて変わった日々を過ごしていた。
通学は片道3時間。地元の愛知から京都の大学まで新幹線で通い続けた。夢は東京で働くこと。説明会や面接のために、毎週夜行バスで東京へ向かった。
大学と就活がない日はお金を稼ぐため、1日中バイトをした。丸1日休みの日は、月に1、2回あれば良い方だった。そんな生活を1年半。毎日多忙な日々だった。
それでも、幼い頃から体を動かすことが好きだったため、人よりは体力がある方だと自負していた。だから身体を壊すことなんてないと、大丈夫だと信じて疑わなかった。たとえ面接で落とされても、この生活を続けていればいつか私は報われる、そう思っていた。
しかし、その日は突然やって来た。東京から自宅へ帰ったその日、突然40℃近い高熱で倒れた。幸いにも予定のない日だったため、大人しくベットで休むことにした。「どうせ就活の疲れが少し出ただけだ」。そう思った。
翌朝、熱は下がっていた。けれど、身体を起こそうとしたら起き上がれなかった。開けた瞳から涙が溢れてきた。天井を眺めながらひたすら涙を流し続けた。止めようと思っても止まらない。「ああ。私はおかしくなってしまったのだ」。うまく働かない頭の片隅にそんな考えが過ぎった。
異常な私の姿に1番に気づいてくれたのは母だった。泣き続ける私を見て母が、「休もう」ただひと言、そう言ってくれた。
泣き続けて「死にたい」と言葉にしてしまい、私は病院に連れて行かれた
それから毎日、私はベッドの上で泣き続けた。トイレに行く気力も食事を取る元気もなかった。1日、3日、5日、1週間。ただ泣くだけの日々が続いた。泣き続ける中でふと、「死にたい」そう思ってしまった。
1度浮かんだ考えは頭の中を埋め尽くし、やがて口を衝いて出るようになった。そんな私の言葉を聞いた母が、悲しそうな顔で私を病院へ連れて行った。そこで私は「鬱」と診断された。就活も大学も休んで、しばらくゆっくり休むように言われた。
処方された薬を飲みながら過ごすと、少しずつ涙は減っていった。倒れたその日から2週間ほど経った頃、薬のおかげか心も身体も少しづつ落ち着いてきた。死にたいと思うよりも、生きたいと思えるようになった。
でも、楽になった頭は色んなことを考えるようになってしまった。「この先どうしたらいいのだろう」「就活すらできないなんて自分はダメな人間だ」「周りのみんなはできてるじゃないか」「友達も先生も、両親だって、こんな私に失望してるに違いない」そう思うたび、涙が溢れた。
以前よりも苦しい涙だった。息が詰まり、喉がキュッと苦しくなる。どうしようもなく辛かった。この辛さから逃げたくなった。でも、涙は溢れて止まらない。
「どうしたらいいんだろう」。悩み続ける中でふと思いついた。「そうだ。首を吊ればこの喉の苦しみから救われる」。
今思えば、理屈の通らない異常な思考だ。でも、その時の私はそれで救われると信じていた。思い立ってすぐ、部屋に置いてあったベルトをカーテンのレールに吊るした。あとはここに首を掛けるだけ。縄に手をかけたその時、「死にたくない」そう思ってしまった。
「喉が苦しい、息ができない。首を掛ければ楽になる。でも、死にたくない。嫌だ、嫌だ、嫌だ。生きたい。死にたくない」「なんで私だけこんなに苦しまなきゃいけないんだ。親がいい企業に勤めて欲しいって昔から言ってたからこんなに頑張ってるのに。なんで報われないんだ。こんなに苦しんでるのになんで友達は助けてくれないんだ。私はいつもみんなの相談に乗ってあげてるのに」。
「……あれ、どうして私今他人のことばっかり考えてるんだろう」。ふと、思考が途切れた。溢れていた涙も苦しかった喉の痛みも嘘のようになくなった。気付いたのだ。私が今まで自分じゃない誰かのために生き続けていたことに。
そう気付き始めたら、私の今までが「誰かのモノ」のように思えた。好きなことも嫌いなことも。得意なことも苦手なことも。誰かに言われるままに決めていたように思えた。私自身のものなんて何1つないように。
そう思うと、途端に虚しくなった。そして、悔しくなった。「生きたい、私らしく。これが『私の人生だ』と胸を張って言える生き方をしたい。好きなものも嫌いなものも。得意なことも苦手なことも。全部自分で選びたい」。
ずっと他人を基準に生きてきたけど、自分の「好き」を優先しよう
縛り付けたベルトを解いてベッドに戻った。さっきまで苦しかったのに、今はなぜかワクワクしている。「自分らしく生きる」そう思えた私のこの先の未来はきっと楽しい。
でも、そう簡単ではなかった。だって、20年間くらいずっと他人を基準に生きてきたのだから。何が好きなのか、何に心躍るのか、何になら夢中になれるのか。全くわからなかった。わからない自分に嫌気がさすことだって何度もあった。
でも、テレビを見たり、本を読んだり、外に出かけたりしたら、少しずつ分かるようになってきた。道端の植物が好き。音楽を聴きながら歩くのが好き。おしゃれな服やかわいい雑貨が好き。メイクや体づくりを頑張ってる女の子が好き。何かに向かって頑張ろうとしてるスポ根系の少年漫画が好き。いろんな「好き」に気が付いたら、知らない間に行動していた。
そして、旅に出た。部屋には綺麗なドライフラワーを飾った。歌を歌ってネットに投稿するようになった。メイクやスキンケアについて勉強するようになった。女の子のアイドル番組を観るようになって、憧れの人を見つけた。
時間はかかったけど、少しづつ自分がどんな人間なのかわかるようにもなったし、いろんな努力もできるようになった。特別な何かをしていなくても、毎日が楽しくなった。よく笑うようになった。
今、ありのままの私で生きられている。鬱になったあの日から2年。つい先日、親しい年下の友人と会った。おしゃべりのために入ったカフェで、彼女は私に、「あなたのように生きたい。だから私も頑張ります」そう言ってくれた。