ほんの10日前からなのだが、今まで全く関わったことのなかった、写真の世界にどっぷりハマっている。写真を撮る方ではなく、被写体の方の楽しさに惹かれた。

「今から撮ろうか」。管理人さんに誘われ踏み入れたことのない世界へ

今年の夏は、インターンで関西に長期滞在している。インスタグラムで投稿を見て世界観が素敵だなと思っていた方の個展に、せっかく関西に来たから行ってみよう、と訪れたことが始まりだった。
個展をしているギャラリーの管理人さんがたまたまいらっしゃって、少し身の上話をしていたら、「今から撮ろうか」と言われたのだ。
ギャラリーの上階に案内された。階段の上からは巨大な鹿の剥製が顔をのぞかせていたし、棚には様々な写真集が所狭しと並んでいた。何をテーマにしたか私には理解が及ばないようなアーティスティックな塗装が施された部屋や、モノクロの世界に来たかのような部屋があった。
今まで一度も踏み入れたことのない世界に足を踏み入れる経験は、大人になってからなかなかできるものではない。戸惑いとドキドキと、少しのワクワクが入り混じった、入学式のような気持ちを久々に味わった。

カメラの画面には、よく知っている私のようで知らない私が映っていた

個展を覗きに来ただけだったはずが、目の前の初対面のおじさんが覗くファインダーの前に座っている。さっき話をした感覚で、2人きりになってしまってはまずい人ではないことはなんとなくわかっていたけれど、それでもやはり緊張する。
まずそこの白い壁の前に座ってこっちを向いて、とそのおじさんは言った。光の角度を調整しながらひとしきりパシャパシャと写真を撮られた後、「いい目をしてるよ、見てごらん」とカメラを渡された。
「この右矢印のボタンを押していけば次の写真が見られるから」と言って、彼は煙草を吸いにベランダに出た。カメラの画面には、当然私が一番よく知っているあの私が映っていると思っていたが、それは半分本当で半分間違いだった。

戸惑いとドキドキと少しのワクワクが入り混じった時、私がどんな表情をするのかということを、私はこの時初めて知ったのである。そして、それらの感情の比率が変わった時に、私の表情がどのように変化するのかも、私はこれまで知らなかった。画面に映る自分を見て、私は呆気に取られていた。呆気にとられる私に気づいて、またまた呆気にとられた。
23歳も終盤になって、私の知らない私がこんなにいるなんて。なんだこれ、めちゃくちゃおもしろい。
私は完全に、撮られることの虜になった。

カメラマンさんによって引き出された知らない自分も、紛れもなく本物

何十回かシャッターを押された後どんな映りだったか確認させてもらう、というフェーズを数回繰り返した。画面を確認するごとに、自分の緊張がほぐれていって目つきや表情が柔らかくなっていっていることに気づいた。
遠慮しながらも、カメラに対しての目線を変えてみたり、表情をあれこれやってみたりした。そうして私の知らない私の写真がどんどん増えていった。いつも私が自分に対して抱いている印象、結構行動的だとか、感傷に浸りやすいだとか、文章を書くのが好きだとか、料理が苦手だとか、そういうのも全部本当だけど、この画面に映る自分も、紛れもなく本物だった。
私が今まで知らなかった私に、カメラマンさんの協力によって出会うことができることが本当に楽しいと、心から思った。

それからもう一度彼のギャラリーに訪れ、写真を撮っていただいた。来週にも撮っていただく約束をした。
来週撮っていただく写真は、彼の個展に展示されるらしい。ギャラリーで出会った別のカメラマンさんにも撮っていただく予定もある。
自分の身体ひとつで自分を表現することは、難しくて、奥が深くて、面白い。私という人間も、日々変わっていく。気持ちも経験してきたことの積み重ねも毎日違う。今しかいないこの私をありのまま記録してもらえるということは、本当に貴重だと思った。
今年の夏は、私が私を表す手段を、新たにひとつ獲得した。実りのある夏になりそうだ。
あと1か月少し関西にいる間に、たくさんの「今の私」を残していこうと思う。