私が歩みを止めたのは、2020年12月20日。
友達の家に遊びに行った帰り。無人駅のホームに座ったとき、どっと体が疲れたのを感じた。
冬は日が暮れるのが早い。寒いなか、友達は駅の改札まで一緒に歩いて見送ってくれた。
道中の会話で友達が言ってくれた「大丈夫?」が、疲れた体にジンと染みて暖くなっていったことを覚えている。

離職直前は透明人間になりたかった。顔を上げることさえも怖くて…

職場が合わず、12月初旬に会社を辞めた。
少しでも自分を元気づけようと在職中にクリスマスケーキを予約していたのだが、受け取り場所が会社に近かったため、会社の人と遭遇するのが怖かった。
付き添ってはくれないか、と友達にSOSを出したのがきっかけだった。
コロナ禍の中、高齢者の家族と暮らしている友達は人の多い都会へ行くのを懸念して、家に誘ってくれた。

クリスマスケーキは、結局一人で取りに行かなければいけない。
だけど彼女は、私に本当に必要なことを知っていた。

約束の12月20日は晴れだった。
数か月ぶりに、人目を気にして化粧をした。
離職直前は、朝アラームで飛び起きるとすぐに着替えて、顔は水で濡らしただけで家を飛び出していた。

あの頃は、身なりを整えたくなかった。
少しでも「色気」を出して、メッセージのようなものを発信したくなかった。
透明人間になりたかった。
職場までの道の記憶は、アスファルトが続く。
ずっとうつむいていたから。
顔を上げるのも怖かった。

友達が聞いてくれた「大丈夫?」の一言は、身体を軽くしてくれた

だけどその日は、久しぶりに会う友達に少しでも綺麗に見てもらいたいと思えた。
お洒落が好きで、細かいことに気付いてくれる友達。
マスクをつけているから、どうせ崩れると分かっていても、駅のトイレでリップを塗りなおした。

彼女の家に入る前に、ケーキ屋さんに寄った。
事前に決めていたことで、地元で人気というケーキ屋さんまで、私は見慣れない街並みのいちいちを指さして尋ねた。
ケーキを買って彼女の家にお邪魔してからは、海外ドラマを見ながら、とりとめもない話をした。

彼女が「大丈夫?」と聞いてくれたのは、帰り道になってから。
本当は私も、彼女と会ったら会社であった嫌なことや、今の気持ちや、辛いことを聞いてもらおうと思っていた。

会って、顔を見たら。普通の人みたいに外を歩いて買い物をして、ドラマを見ていたら、全部がわざわざ口に出すことではないように感じていた。
それなのに、たった一言「大丈夫?」と聞いてくれて、体が軽くなった。

咄嗟に「大丈夫」と返したけど、すぐに、ちょっとだけ、悩みを話した。
答えが欲しい悩みじゃない。ただ、今後の展望をちょっとだけ口に出した。
夢のある話じゃない。一人暮らしをしたい、くらいのこと。

友達と別れて駅の椅子に座る。初めて地面に両足が着いた気がした

会社にいる時に受けたストレスチェックで、健康的という結果が出たとき、問題がないのに辛いと思っているのは自分が弱いからだと切り付けられたような気がした。
自殺相談窓口は、相談者が多く繋がらなかった。
自己分析を何度もした。
社外の人にも相談した。
土日も勉強をした。
それでも耐えられなかった。

会社の人達を恨んでも、自分の体は軽くならなかった。
「大丈夫?」と聞かれて初めて、「大丈夫」じゃなかったかもしれない、と思えた。
朝起きれなくて、布団にうずくまって、情けなくて、恥ずかしくて、退職したあとも、どこかで自分が悪かったのだと思っていたのだと、自分を許せて始めて分かった。

会社を辞める前の私は、行きも帰りも背中を丸めて、うつむいて歩いていた。
会社に行くまでに、帰るときに、立ち止まった記憶はない。
早く家に帰りたかったから、早く会社から遠ざかりたかったから。

友達と別れて駅のホームの椅子に座ったとき、初めて両足が地面についたような気がした。
そっか、私、「大丈夫」じゃなくていいんだ。
「辛い」と思ってもいいんだ。

就職活動中からずっと苦しかった。当時のことを思い返してみる

そう考えた瞬間に体が重くなったのは、解決策ばかり求めていた在職期間の「辛い」「悲しい」「苦しい」気持ちを、やっと受け止められたからだった。

もっと言えば、就職活動中から、ずっと苦しかった。
合同会社説明会で、IT系のあるブース担当者は、
「文系でもなれるの?って、不安がまずあるでしょう」
と言って、おどけて頭に石を乗せる真似をした。

「さらに貴方は、女なのに?って」
そう言いながら私と目を合わせた担当者は、もう一つ頭に石を乗せた。
同じ説明会の各ブースで、何度も「女性」と呼ばれた。

未経験でIT系に就職が決まってすぐの頃、何人かにIT業界を語られ、
「誰でもなれますよ、大丈夫」
と励まされた。
私を上から励ましてくれた人たちはみな他業種で、私が仕事にすることを趣味でしているわけでもなかった。

落ち着きなく歩きまわる足を止めてくれたのは、あの時の「大丈夫?」

ある美容師に趣味を聞かれ、映画と答えると、どんな俳優が好きかと聞いてきた。
テレビでよく見かける有名な方達の名前を何名か挙げた。
私自身大好きな人たちだったが、美容師の好みではなかったらしい。
「めっちゃ渋いですね。おじさん、喜びません?」
と聞かれた。
「おじさん」に当たりそうな人物は、それまでの会話で一度も登場していない。

満員電車で、PC鞄のショルダーを、逃げても逃げても爪ではじいてくる人がいた。
会社の人に、「下着が見えているよ」と胸を触られた。
全部全部全部、「大丈夫」じゃなかった。

「大丈夫」になりたくて、なりたくて、もがいてた。
私には、なんでも整理する癖がある。自己分析をして、紙に書きだして、解決策を考える。
思い返せば、相談していた私は「大丈夫」に見えたのかもしれない。
クリスマスケーキ一つ取りに行けない私は、ぜんぜん「大丈夫」じゃなかった。

「大丈夫?」という声がけは、「大丈夫だよ」と答えてしまいがちなので、適切ではないという意見もある。
私自身、「大丈夫」と答えていた。

ただ、「大丈夫?」という言葉一つで、「心配してくれた」ことは伝わる。
「心配される自分」に気付き、受け入れるきっかけになるかもしれない。
落ち着きなく歩き回っていた足を止めてくれたのは、紛れもなくあのときの「大丈夫?」だったから。