オリンピックを見た。久しぶりにテレビを見るのが毎日楽しみだった。
自分自身が競技に没頭していた時期があり、アスリートの本気の姿勢からは、並々ならぬものを感じた。その日のためにどれだけの努力を積み重ねてきたかは、計り知れない。

同時に、自分自身が生ぬるい生き方をしていられないと、背中を押されたような気がした。
もちろん、結果は順位やタイムとなって必ず出るが、勝っても負けても、それ以上に、一生懸命になる姿が、どこまでも輝いて見えたし、汗も涙も、どこまでも輝いていた。

競技に打ち込み続けた先に何があるのだろう?自問自答するように

私も数年前までは、市民ランナーではあるが、マラソン競技にとにかく必死になって、結果を残すことに夢中になっていた。
もちろん、仕事で競技をしているわけではないので、あくまで「趣味」でしかない。しかし、自分自身の限界まで必死になれる趣味があること、そしてそれに打ち込めることが限りなく幸せだった。

しかし、何がきっかけかはよく分からないが、ある時から、このまま競技に打ち込み続けた先に、一体何があるのだろうかと、頑張ること自体に、自問自答する日々が続いた。
もちろん、応援してくれる人はいる。しかし、どこまでタイムを縮めても、果てしなく次の目標が続いていく。私はどこまで頑張っても、ゴール地点にたどり着けないような気がした。

単純に、頑張ることに疲れたのかもしれない。必死になることは好きだが、SNSで賞賛されるたびに、いや、賞賛されるほど、私の心はどこまでも孤独だった。もう、このまま頑張れない、と思い始めた。

解説者が言った言葉が心に突き刺さる。正直不快で聞き流せなかった

今回、オリンピックの中で心に残ったシーンはたくさんある。勝って流す嬉し涙、負けて流す悔し涙、まさに、自分自身に打ち勝ってたどり着いたオリンピックの舞台にたった選手から吐き出される言葉の1つ1つが、心に染みた。

そんな感動の連続の中で、とある競技で解説者が放った言葉が、自分自身の心に深く突き刺さることになる。それは、マラソン女子の日本人選手を紹介する一部である。
「彼女は、ちゃんと彼氏もいて、自分が30歳までに孫を見せると言っている」という言葉。何となく、聞き流せない自分がいた。この言葉については競技後、ネットのニュースにもなっていたので、きっと、聞き流せなかったのは私だけではないはずだ。

私がもし、結婚もして、子供もいたら、何とも思わない言葉だろう。しかし、結婚もせず、もちろん子供もいない今の自分が聞いて、良い気分になるだろうか。
オリンピック選手ほど、輝かしい走りもできないし、その上結婚もしていない今の自分があまりに惨めに感じて、私はそれ以降、その中継を見ることさえやめた。正直言うと、かなり不快だったからだ。

傷を治すのは簡単じゃない。寄り添えるような言葉を発信する大切さ

人は自分の立場を何より分かっているし、なんだかんだ言って、自分がかわいいのだ。だから、今回の言葉だって、私自身が傷付いたことが悲しくてたまらなかった。

「他人の立場になって考えなさい」とは、小さい頃から幾度となく言われてきた言葉だが、大人になってもなお、本当に大切なことだ。走るのも速くて、彼氏もいる、そんなうらやましい彼女のことを解説者は単に賞賛したかったのだろうが、そこまで速くも走れない、そして彼氏もいない人がいることをその言葉を発する時に、果たして考えただろうか。

ただの趣味で走っているだけなのに、彼氏を作ることもせず、単純にマラソンに必死になっていた自分が何だか間違っているかのような気持ちになった。自分を否定されたような気がした。

被害妄想と言えばそれまでかもしれない。けれど、競技に必死になって、人生設計をいわゆる「普通の女性」のようには描けないのかもしれない私にとって、良い意味ではないが、今回のオリンピックを通して、感じることとなった。

前ほど、必死になって競技にも打ち込んでないくせに、いまだに彼氏を作れない自分自身のコンプレックスを痛いほど突いてきた言葉は早く忘れてしまいたいが、一度付いた傷を治すのはそんな簡単ではない。
私は、今回の解説者のような言葉ではなく、どんな時も、色々な立場の人の気持ちに寄り添えるような言葉をこれから発していこうと思う。