Twitterに投稿する内容が「疲れた、こんなことがあって嫌だった、仕事行きたくない」といった愚痴から、「もっとしっかりしろ、逃げるな、頑張れ!頑張れ!頑張れ自分!」と自らを鼓舞しまくるスタイルに変化してきたら、それは相当に限界を超えているサインだ。

社会の輪っかから必死に逃げ隠れた9ヶ月間を、喪失とは感じていない

適応障害をこじらせ、急に落とし穴に落ちたかのごとく前触れなしに退職してから、9ヶ月が過ぎた。
人間関係を断ち、社会の輪っかから必死に逃げ隠れた9ヶ月間は、失業保険と貯金でできている。もう安易にスタバは買えないし、何でも割引品を選ぶ癖がついてしまった。映画はサービスデーのみ。失業保険が振り込まれたら、そのまま都民税と国民年金と国民健康保険料を支払う。出費を10円単位で惜しむ感覚なんて、今まで知らなかった。

しかし今、私の精神状態はとても良い。ゆっくりと、お金をかけないように時間をかけて、泣きながら見ていた灰色の世界はまともに見えてきたし、ホームに入る電車を見ても変な想像をしなくなった。人間らしい頻度で風呂にも入るようになった。
人生のうちほんのちょっとのこの期間を、喪失とは感じていない。有意義だったとも思わない。ただ生きていただけ。
心は修復されて、そろそろ社会に出ようかとぼんやり考える。
ただ、何だか口の中がおかしい。最後に食べた固くて怖い食べ物が、消化できず胃の中にある感覚がする。喉にもつっかえている。

心が限界になった時、SNS投稿は愚痴から自分への喝に変わった

退職当時、人事異動により職場の環境が大きく変わり、無愛想な上司とのコミュニケーションや、不安を感じている後輩へのフォローに悩まされていた。コントロールなぞ不可能な「他人」に対して、どうにかしなければと思いつめた結果のキャパオーバー。
さらに仕事内容も激務だった。毎日当然のように残業をする上司を前に、定時で帰ることは申し訳なくてできなかった。そのうち職場が怖くなり、不安と焦りで燃える滑車のように回転する脳内と、人の目が怖くて自分の意思で動くことができなくなった身体。
Twitterには、必死に自分に対して喝を入れる投稿が連投された。読み返してみると、毎日毎日頑張れ頑張れで、ちょっと狂気じみていた。いよいよ鼓舞する力もなくなってくると、次は「私なんて価値ない、何もできない、嫌われている」と、卑下するモードに入る。

しかし辞めることは考えられなかった。ずっと憧れていたアパレル業界の仕事は、とても楽しくて大好きだった。自分のことまで好きになれた。誇りを感じていた。
必ず入社すると誓い、不採用通知にもめげず再度の応募で掴み取った職場で、4年間なんとかやってきた。

一歩も動けていないあの日から、そろそろ切り離す時がきたのかも

先の人事異動で遠い所へ行ってしまったが、長く世話になっていた上司から連絡が入った。9ヶ月ぶりに。
「久しぶり、元気?」
心臓が落ち着かなくなる。職場関連の連絡は一切無視していた。気にかけてくれた人が連絡をくれる度、身体の中心から震えが流れてくる。口が半開きになる。深呼吸を連発する。
脳内で返信を組み立てても、申し訳なくて、恥ずかしくて、合わせる顔がなくて、送信どころか既読さえ付けられない。いくら当時辛かったにしても、最低限の義理を通せなかったことを後悔して仕方ないのだ。

本当は、あの日から一歩も動けていないと思い知る。
このまま歳を取れば、最後の記憶は後ろめたい失敗だ。最後に食べた固くて苦くて怖い食べ物から、もうずっと、次を食べられないでいる。口の中が怖いまま。
いい加減、新しいものでお腹いっぱいにしないと。今までだって嫌なもの、いくつも食べてきたでしょう。もうすっかり吸収されて、身になってしまっているでしょう。なかったことにはできないから、動き出す。新しい場所ではあったかくて美味しいものを食べられるように、今胃の中でぐるぐるしているものを本当の過去にするために。
ぐっと勇気を出して、許すことができない過去の自分を切り離す時がとうとうきたのかもしれないと、LINEアイコンの数字を眺める。