「だって人間味があるじゃない、あなたって」
もう何度繰り返したかも分からない、私の奇行を謝罪したときに彼がくれた言葉がこれだった。
たしかこの日は、いただきもののブランデーの琥珀色がきれいで、「何かで割ったりせずに、この美しいまま摂取せねば」という衝動に駆られ、割り物もなしにしこたま飲んで酔っ払い、イタリア語で彼に熱烈な愛を語りかける、という世にも迷惑な行為をしてしまったときだったと思う。
酔っ払ったチャット画面には、イタリア語で愛を熱烈に語り合う会話が
そのときはLINEのチャットで話していたので、今でもその恥ずかしい言葉の数々は見返すことが出来る。
見ると、マシンガンのように愛の言葉をぶつける私に対し、彼は一つ一つ律儀に応戦してくれているのである。彼はイタリア語ができないと言っていたけれど、おそらく翻訳機能か何かを使って返事をしてくれたのだろう。その部分の文面だけ見れば、愛し合うイタリアのカップルも赤面するような、パッションにあふれた会話が十数分繰り返されている。
もしもタイムマシンがあるのなら、そのときの自分に会いに行き、後頭部を鈍器で強めに殴りたい。
「どうしてそれであなたを嫌いになるの」
酔いが醒め、自分のやらかした行動の阿呆さ迷惑さ加減に絶望し、「今度こそは嫌われたよな……」と思いながらも誠心誠意謝罪をすると、彼はむしろ楽しかったよ、と許してくれた。
「どうしてそんなに心が広いの、仏かよ」と感嘆しつつ、「嫌われてなくてよかった……」と呟いた私に彼がくれた言葉が上記である。
「僕はあなたのそういうところを含めて好きなのだから。むしろそういうところが好きなんだ」
そして、話は「人間味」の話へと移ってゆく。
「人間味」を持てば捨てられると思い、他者が望む「私」を演じた
「人間味」を、求められない人間だった。
彼と出会う前、私の周りの他者が求める「私」は、「人間味」のない虚構の「私」だった。
私は、美しくて自分(=他者)に害をなさず、そして気が向いたときに遊べる生きたお人形だった。意思や感情など求められなかった。ただその人が望むような人格で、美しく着飾って笑っていればよかった。
それが長年当たり前であったから、自分に「人間味」などあってはならないし、そもそも自分にそんなものなどないのだと思っていた。私と接する人々が、異口同音に「人間味のない、どこか浮世離れした神秘的なところが君の最大の魅力だ」と言ってたから。
「人間味」を持ってしまえば、私は彼らから捨てられる。それが怖くて、私は思いつく限りの努力をして彼らの望む「私」を演じていた。
今思えば、そういうところが私の「人間味」なのだろう。
「二次元を超える体型」と謳われたスタイルを保つために過度な食事制限をし、他者が求めるなら意思に沿わない言葉だって平気で吐き、何をされても「私は傷付いていませんよ」というふうに可愛らしく微笑んでいた私は、「人間味のない人間」を演じる「人間味」ある愚かな人間だ。
「一人の人間として好き」。何も求めない彼の言葉が、心を解き放つ
そんな私が当時憧れていたのは、乱歩の『悪魔人形』に出てくる紅子さんだった。生きたままお人形になろうとしている、美しいお姉様。
この作品のヒロインであるるみ子ちゃんは、腹話術師のおじさんの「君もお人形にしてあげよう」という誘いを断ったけれど、そのときの私だったらきっと喜んでお人形にしてもらったと思う。
「お人形のような人間」ではなくて、本当のお人形になりたかった。人間のままだと、抑圧した本心が、たまにとても苦しいから。
初めて彼に出会ったとき、とても困惑したことを覚えている。
私に何も求めないひとだったから。
最初の頃、彼は私に興味がないから私に何も求めないのだと思った。それなのに、彼は優しくしてくれるし、毎日LINEをくれるし、休日はほとんど一緒に過ごしてくれる。
どうして? わからない。わからない。
何もわからない私に対して彼は言った。ゆっくりと優しい口調で。
「僕は人間としてのあなたが好きなんだ。一人の人間として好きなんだ。ただ生きているだけでいい。それで、思ったことを言えばいい。あなたのことを知りたいから」
瞬間、解き放たれた、と思った。
私、人間でいいんだ。無理に感情を無くさなくてもいいんだ。
感情を出すことは、醜く、してはいけないことだと思っていた
以来、彼や親しい人の前では少しずつ感情を出せるようになり、今では酔ってイタリア語で愛を語ったり、素面でも急に本の朗読や量子力学の演説を始めるなどの奇行を繰り返すようにまでなった私は、正真正銘「人間味」にあふれた人間だ。
感情を出すことは、醜いことだと思っていた。してはいけないことだと思っていた。
それに、とても怖かった。思ったことを口にして他者を傷つけることも、自分が傷つくことも、どちらも死ぬほど怖かった。
それくらいなら、感情を押し殺して誰も傷つかない美しい世界でただひたすら笑って生きていたかった。
でも、どうして自分ばっかり感情を押し殺して生きていないといけないの? みんなは人間らしく色々な感情を持って生きているのに、私は感情を持ってはいけないなんて。
そんな狂った狭い世界で生きていた私を、見捨てず救い出してくれた彼には感謝しかない。
大丈夫。みんな思いのままに生きていい。感情も人間味もあっていいんだ。そんなあなたこそが素敵なのだから。