生と死は隣り合わせ。
生まれればいつかは死が訪れる。
生きるためには何かが犠牲になる。
私はそんな生と死を目に焼きつけた。

カマキリに一目惚れした私は、自由研究として2匹のカマキリを飼った

私は幼稚園の頃に一目惚れした。
自分と同じくらいの大きさを相手に真っ向から立ち向かう、鋭いカマを持つカマキリに。
初めて飼ったカマキリはカマちゃんと名付けた。雌雄の区別はついていなかったが、この名前がピッタリだと思った。
カマちゃんは私や家族が捕まえたイモムシや蝶、バッタを次々と捕まえて食べた。
カッコイイ!体を揺らし獲物に狙いを定める。サッと首元を掴む鋭いカマさばき。惚れ惚れした。
時には、自分より大きいサイズのバッタを相手に苦戦しながらも勝利を収める。そんな姿は私の中で昆虫の中の王者に見えた。

カマキリに惚れた私は小学4年生の時、カマキリを題材に自由研究をすることにした。
草むらで捕まえたカマキリ2匹を飼い、観察記録を残す。カマキリのカッコ良さや魅力を存分に伝えられるような観察記録を残すんだ!と意気込んで、自由研究に取り組み始めた。
2匹のカマキリの名前は小さい方が小ちゃん、大きい方が大ちゃん、2匹ともかわいく、見ていて飽きなかった。
夏休み、暑い中私は汗だくになりながら餌を捕まえた。小ちゃんと大ちゃんは元気に餌を捕まえカッコイイ姿を見せてくれた。写真に収めたが、やはり生で見るのが1番!と夢中になって獲物を捕らえる小ちゃんと大ちゃんを見つめていた。
そして脱皮を繰り返し大きくなっていった。脱皮は神秘的だった。ゆっくり時間をかけて行われる。スルスルと抜けた脱皮の殻はカマキリの形になっていて、観察記録として保管した。

脱皮に失敗したカマキリに食らいつくバッタは、まさに弱肉強食の世界

夏休みも後半にさしかかった時、大ちゃんの虫かごに目をやると大ちゃんが横たわっていた。
脱皮に失敗したのだ。
カマや体の一部は脱皮が完了していて、最終形態の羽もできていた。しかし、足がうまく殻から抜けなかったのだ。
それでも大ちゃんはカマを動かし生きていた。私が指を近づけると力強くカマで捕まえてきた。痛かった。まだ生きてる。
餌は食べるのかと1匹のバッタを入れた。
すると驚きの光景が広がった。

バッタはもともと草食昆虫のはずだが、横たわった大ちゃんのお腹部分を食べだしたのだ。
大ちゃんはカマで抵抗するが、バッタは跳んで回避しながら大ちゃんを捕食していった。
大ちゃんを助けたい気もしたが、これが昆虫界の世界なんだと受け入れた。
バッタはどんどん大ちゃんのお腹を食べていった。大ちゃんの動きがだんだん弱々しくなり、抵抗しなくなり、やがて動かなくなっていった。大ちゃんは死んだ。
草食昆虫であるバッタが肉食昆虫であるカマキリを喰らい、大ちゃんは死んだのだ。
衝撃的だった。

かわいがっていた大ちゃんの死に、驚きと悲しみが広がった。
虫かごを持ち上げ、大ちゃんの亡骸を見て泣いた。
弱肉強食の世界が昆虫の中にあった。
自由研究の観察記録は良いできになった。
でも、その自由研究はカマキリのカッコ良さや魅力を存分に伝えるものではなく、汗と涙のカマキリとの夏の思い出記録になった。

虫たちの食う食われるの関係の逆転に、生と死は隣り合わせだと実感

この出来事を境に、生と死について深く考えるようになった。
同じ虫かごの中で繰り広げられた、食う食われるの関係の逆転現象。生と死は隣り合わせだと実感した。
生きるためには何かが犠牲になる。小さな昆虫という世界の中にも、懸命に生きる姿があった。
9月に小ちゃんも亡くなり、泣きながらお墓を作った。
かっこいい姿だけが美ではない。
懸命に生きる姿が美しいと感じた。

大ちゃん、小ちゃん、今もあの時のことずっと覚えてるよ。汗と涙の最高の思い出。
大切なことを教えてくれてありがとう。

これから先、昆虫を飼う人に、生き物の大切さと、自分の目でしっかり見て感じることの大切さ、伝えたいと強く感じた。