メンタルクリニックの外来待合室で、初診票を書きながら涙を流しているわたしを、誰が想像できただろうか。
行く先々で笑顔を褒められ、友達も多く、スポーツも勉強もそれなりに頑張ってきた。自他ともに明るい性格だと認められるような、わたしはそんな24歳だ。

看護学校を卒業し看護師として就職。順風満帆なスタートに思えた

日本が、そして世界がコロナ禍に突入した2020年春。看護学校を卒業したわたしは、付属病院へ看護師として就職し、新たな門出を迎えていた。
希望していた病棟に配属された。しかも、学生時代に同じグループだった子のひとりと一緒に。未曾有の出来事の渦中ながらも、順風満帆なスタートであるように思えた。
しかし、自分の中で何か大事なものが、バランスを崩して、じわりじわりと、壊れていった。

学生から社会人になるにあたり、理想や想像と現実との乖離、いわゆるリアリティショックを感じるのは、よくあることだろう。
なかでも看護業界では、それを感じやすく、若手の離職率が高いことは有名な話である。
例に漏れず、わたしもその1人であった。

わたしの場合、病院での看護師は数年以内に辞め、別の看護系の仕事をすることが学生時代からの目標であったため、あくまで病院での勤務は「経験」であり「やりたいこと」ではなかったことが、その大きな要因であろう。

努力しても成果が出ない。気づくと、心は押しつぶされてしまっていた

医療は命に関わるため、他業種よりも緊迫感や責任感が大きい。そのため、先輩からの指導も必然的に厳しいものとなるし、新人だからといって生半可な知識や技術は許されない。

多くの指摘を受ける毎日。疲れ果てた仕事終わり、改善のための勉強をする。練習をする。それでも、なぜだか上手くできない。同期ができていることも、自分はできないまま。……或いは、自己を正しく客観視できず、相手ばかりできているように見える錯覚に陥っていたのかもしれないが。

どれだけ努力しても、成果が出ない。先輩からのアドバイスもピンと来ない。
先輩たちも、わたしをどう指導したら良いのか、なぜ私ができないのか、悩んでいる様子だった。

「やりたいこと」ではなく、あくまで「経験」として選んだ厳しい道の中で、努力しても実を結ばない日々。
それにタイミング悪く家庭内の問題も重なり、気づいた時には、自分の心はぺしゃんこに押しつぶされてしまっていた。

立ち止まって見つけられた選択肢。立ち止まることは悪いことじゃない

わたしは適応障害と診断され、4ヶ月仕事を休むことになった。
その期間、わたしは人生の歩みを止めていた。

知能検査を受け、人よりIQが高いこと、得意不得意が色濃いことなど、自分自身という存在についても知るきっかけを得られた。

そして、今まで足枷となっていた家族についても、距離を置いていいんだと気付いた。
幼少期から家庭環境が複雑なわたしは、人知れず家族について、そして自分自身について、葛藤を抱えている。歳を重ねるごとに、その葛藤は自分の心の奥へ奥へと広がっていった。
このブラックホールのような葛藤は、無意識のうちにわたしの視野を狭め、選択肢を奪っていた。

このことに気づけたのは、歩みを止めた時、周りの人々が教えてくれたから。
「家族にまつわる問題は、わたしの心にとって大きな負担となっていたこと」
「そして、家族と距離を置いてもいいということ」
絶対に手放してはいけないもの、そう思い込み身体中に巻きついた糸は、足掻くほどに複雑に巻きついていく。しかし、動くのを止めてみると、案外すんなりと解けていった。

立ち止まって、社会との関わりを絶って、絶望感に苛まれながらも、自分自身やその周りの人や物と嫌というほど向き合った結果、いままで考えもつかなかった選択肢を見つけることができた。
そして、そういった思いもよらない選択は、案外単純で身近なものだということも。

いま、わたしは、元々目標としていた看護系の仕事に転職し、一人暮らしをしながら日々充実した生活を送っている。
立ち止まることは決して悪いことじゃないと、あの日々は教えてくれた。