最初に話したのは2年前。関係は他店の社員とバイトだった。その人は、子育ての話ばかりしていた。
第一印象は「父に似ているな」だった。子煩悩だった父の面影を勝手に重ね、親近感すら覚えていた。
でも、その気持ちは心に留めたまま、声に出すことはなかった。
その次に会話したのは、1年半後。異動してきたその人に久しぶりに会った。子供の様子を聞くと、顔をしかめた。
「今、一緒に住んでないんだよね」
その呟きに、只ならぬ寂しさを感じ取った。
父親くらいの年齢の彼とのデート。彼は私の好奇心を満たしてくれた
その日から、二人でのご飯に誘われるようになった。最初に感じたのは、「恐怖」だった。
父親くらいの年齢の人と二人でご飯なんて。経験の少ない私には、想像の枠(域?)を超えていた。
友達に相談すると、「気持ち悪い」「辞めておきな」と皆みんな口を揃えた。その通りだと思った。
しかし、迷った末、行った。感想は、何も気持ち悪くなかった。
アプローチだとか、セクハラ紛いのことは何もなかった。話は面白いし、学もあった。
何回か話したり、ご飯を食べに行ったりした。好意を持たれていると感じることはあったが、特に気にならなかった。
ある時、手を握った。なんだかホッとした。「あ、大丈夫だ」と直感で感じた。
その日から付き合うことになった。
それから半年が経った。彼とのデートは知らない世界を見せてくれる。行ったことのない町に連れていってくれるし、食べたことのない料理を食べさせてくれる。
同年代とのデートも何度かしたこともある。が、その何倍も私の好奇心を満たしてくれる。
生きている年数が圧倒的に少ない私。彼は我慢しているのかもしれない
気になることはたくさんある。LINEの文が長め。食事中にスマホを触ると怒る。しょっちゅうマッサージを求められる。喧嘩もしょっちゅうする。
でも、人はみんな歳を取る。付き合うにおいて、相手に対する何らかの「我慢」は必然的に強いられるものなのではないか。
私の方が生きている年数が圧倒的に少ない。知識もないし、経験もない。だから、彼の方が「我慢」しているのかもしれない。
周りの人に年上の彼と付き合っていることは言えていなかった。ようやく一人の友人に話してみた。
「面白くていいじゃん」
あ、これも私らしさの一部なのか、と気づいた。
歳の離れた彼と付き合ってることは悪いことなんかじゃない。私は私に自信がないだけなんだ。段々と「変」が「普通」になってきた。
この世界だってそうだ。一人一人違う人に恋をし、一人一人異なる未来を描く。それが「当たり前」になる資格を私達は持っているのだ。
彼との過去も未来も見ない。今この年の彼だから私は愛せるのだ
この先が何年続くのだろう。いつも不安になる。
「おじいさん」になった彼をどこまで受け入れられるのだろう。いつまで元気でいられるのだろう。その景色を想像できていない。
迷う間にもどんどん歳を取る。現実を目の当たりにすると、腰がすくむ。
この間、彼の昔の写真を目にした。若く、生き生きとした彼にこの時会っていたら。写真の隣に写る人を羨ましく思った。
共に過ごす時間が増えるにつれ、彼の昔を知る。彼の人生のパズルのピースが埋まっていく度、この年の彼だから私は愛せるのだ、ということに気づいた。
だから、過去も未来も見ないことを決めた。
私の手元にあるものは、「今」だけなのだから。