私は世界で一番幸せ者だと本気で思っている。
こんな事を公言している時点で、ノー天気でイタイ奴だと思う。それも踏まえた上で、こんなことを年中言ってる。
こんなことを公で話すということは、まぁさぞかし実家はお金持ち、さぞかし美人で、彼氏は気が利きレディーファーストがデフォルトですみたいな売れっ子イケメン俳優、もしくはバリバリな商社マンで勝ち組決定!!みたいな絵に描いたような人物を想像するだろう。
だがしかし現実の答えはノー、かすってもいない。
私はブスではないが美人でもない。彼氏はありふれた普通の28歳だ
実家は東京から東北新幹線に乗って約1時間半ほど、そこから在来線で20分。夏になればトマト、トウモロコシなんかが採れるいわば普通のただの田舎。
私自身、都内で勤める普通の会社員。
休日になれば信じられないほどの暑さに生命の危機を感じながら、去年なけなしの財産をはたいて買ったチャリを下北沢まで走らせ、レコード屋で新譜チェックをしたのち、気がむけば帰りは銭湯で汗を流して帰るというオッサンみたいな趣味の普通の庶民。ブスではないが美人でもない。
彼氏は世間をときめかせる俳優でもなければ、商社マンで海外を飛び回っているわけでもない。ごくごくありふれた普通の28歳だ。
彼との出会いはコロナが蔓延する2ヶ月程前の年明けで、自宅で過ごす時間が圧倒的に増えたタイミングだった。
彼との平凡な日々。飽き性の私が約一年半、飽きることなく続けてる
デートなんてものは数えられるほどしかしていないし、外で待ち合わせて食事をしたのも片手で数えられる程度。
「今日は肉が食べたい」となればレストランに行けるはずもなく、ふたりでせかせか最寄りのスーパーに向かい、大特価のお肉を片手に自宅で、
「本日は贅沢に岩塩で味付けを~」
なんて言いながらふたりで嬉々としながら頬張る。
冬には土鍋を奮発して、一生分の野菜を摂ったんじゃないかと思うくらい、ありとあらゆる種類の鍋をした。
休日が被れば、ハライチのターンを聴いて朝から笑い転げてる私を横目に、丁寧に豆を挽いて珈琲を淹れてくれたりもした。
そんななんてこともない平凡な日々を約一年半、飽きることなく続けてる。
振り返れば、それなりに歳を重ねてそれなりに恋愛をし、それなりに幸せになれるであろう人と付き合ってきたと思う。
でもまぁまぁ飽き性なこの性格が故に、半年も経てば「なんか刺激がない、なんか飽きた」とよくわからないフワっとしたその「なんか」で別れたりしていた。
自分が幸せだと思えば幸せ。幸せのさじ加減は自分にしか決められない
しかし、今現在、喜怒哀楽の表現がすざましい私とは真逆で、何があっても一貫して表情を変えない刺激の「刺」の字もないような彼との毎日を飽きずに過ごしている。
年中一貫して他人に左右されない穏やかな彼と過ごすようになってからというもの、変わらない事もいいんじゃないかと思えるようになった。そして幸せだと思うようになった。
結局、幸せのさじ加減なんて自分にしか決められない。
自分が幸せだと思えば幸せだし、自分が不幸だと思えば悲劇のヒロインにもなれる。
今まで私は「幸せ」であることに対して怠っていただけであり、幸せのさじ加減を他者に丸投げしていたんだなとも思う。
そんな風に気づかせてくれた彼には感謝しかない。そして「変わりない幸せ」を無償でくれる彼と「変わりない毎日」を過ごすべく、今年の夏は同棲を始める。
「私は世界でいちばん幸せ者だね」と嬉々として話す私を横目に、「幸せそうで何よりです」と暑い暑いと扇風機に当たりながら、彼はまた笑いを堪えている。