「最近どう?」「元気?」
友達からのLINEが届く。私は自分自身が元気なのか、把握できずにいた。
転職に次ぐ転職。メンタル不調で仕事を辞めるまで追い込まれてしまったあの日。今も、心と向き合い、弱った時に立て直す方法を模索し続けている。

人間だから。ロボットではないから。外に出かける、好きなものを食べる、そのような行動のスイッチ一つで過去を忘れてメンタル全快!なんて、うまくいくわけではないらしい。
過去の記憶を乗り越えるためには、継続して心に栄養を与える必要があるのだと思う。

コロナで自粛。家で過ごし、自分を見つめ直す時間も増えていくと

そんなことを考えながら、新しく始めたことがある。
家庭菜園だ。コロナウイルスで自粛する中、自宅でできることは何だろう? ふと考えたことがきっかけだった。
家で過ごす時間が必然的に増えると、自分を見つめ直す時間も増えていく。買い物に行く頻度を減らしましょう、という言葉がテレビ越しに聞こえる2020年5月。自給自足とか、やってみたら面白そうだなぁと思い立ち、ホームセンターに走る。

初心者でも育てやすいと言われているトマト、ナスの苗を選んだ。YouTubeの園芸チャンネルを見つつ、せっかくなら枯らさないようにお世話をしよう、と奮い立つ。
それから毎日水をあげて育てていた私。日々の中で強く感じさせられたことは「他者への思いやりを自分にも向けることの大切さ」である。

神秘的な紫の花。実際に育てないと一生見ることのなかった光景

野菜たちは、私が適度に水をあげないと、枯れてしまう。肥料も隔週であげないと、なんだか元気がなくなってくる。毎朝様子を見に行って、少しずつ大きくなる野菜を健気に思うようになった。絹のベールのような神秘的な紫の花を眺める喜び。それは、実際に育てないと一生見ることのなかった光景であった。
毎朝、栄養は足りているだろうか?光は足りているか?
愛おしさが全くなかったら、あっという間に枯れていただろう。

家庭菜園で初めてできた、大きなナスの果実は水を弾いて輝いていた。採れたてナスはエビと絡め、オイスターソース炒めにして頂く。ナスのシャキッとした食感でさっぱりした気持ちになり、オイスターソースの芳醇な香りが湯気をまとって鼻へ抜けていく。美味しさが頬からはちきれそうになる。
気が付くと自然と笑顔になっていた。都会のど真ん中で、自分で育てて食べる幸せに出会う瞬間だった。

自分をほんの少し救済することができるようになった

私は、野菜に水をあげている時のように、自分自身に水を与えることはできていただろうか?自分に厳しくしすぎていた気がする。人間関係が辛い時もどうしたら良いのかわからず、心や体の悲鳴を聞いても、どうしたら救えるかわからずにいた。
この程度のことは、皆耐えているのではないか、などと押し殺すようになっていたのだ。良くないとわかっていても、やめられない。その考えは自分の身を滅ぼすことに繋がってしまう。潤いと艶は忘却の彼方になっていることにハッとした。せめて自分を赦すことが出来ますように。

ネガティブなことが襲ってくる時、全く違うことに関心を向けたり、友達にすぐに相談するようになった。自分をほんの少し救済することができるようになったかもしれない。
日常にほんの少しの変化を加えると、世界は変わって見える。
1日1日を大切に過ごしたい。