不完全燃焼なバレー部の引退。自分を責めることしかできなかった
汗と青春の日々。
あなたはいつですか?と聞かれて思い出すのは、中学時代の部活動だ。
入学して私はバレー部に入った。未経験からのスタートで練習は朝から晩まで、休みの日は試合に次の日は学校とバレー漬けの毎日だった。
県大会出場を目標にした中学3年の5月、私はスランプ真っ只中の中、地区総体の日を迎えた。しかも腹痛を抱えて挑んだ試合。結果は予選リーグ敗退。試合後すぐ監督の話がある中チームメイトは号泣していた。
私も泣いていたが、それは心からの涙ではなかった。周りが泣いているから頑張って泣いていたのだ。でも、試合会場から帰る車の中、私は後悔で胸がいっぱいになり涙が止まらなくなった。
「自分が……自分がもっといいプレーが出来ていれば、スランプを乗り越えていれば」
自分を責めることしか出来なかった。
選手の想いを守るためにも、全力で走った私は最終ランナーに選ばれた
そんな思いを抱えたまま学校生活を過ごしていたとき、「駅伝をやってみないか」と駅伝部の監督に誘われた。私の兄も駅伝をしていたことと、「せっかくのチャンスだからやってみたら?」という母の後押しもあって私は始めることにした。
駅伝部は部員数が少なく、毎年引退した生徒を集めて大会に出場していた。その時は5人とギリギリ大会に出場できる人数で、私が入って6人となった。
それは誰か1人レギュラーから外れることになる。それが3年生ならその最後の試合を奪うことになる。
それでも監督から言われたのは、「やるからにはレギュラーを狙え」。それくらい本気でやってほしいという監督からの思い、そしてこれまで駅伝部として頑張ってきた部員の気持ちを踏み躙ることのないよう、私は毎日全力で走った。
全ては監督との約束を守るため、そして3年間頑張ってきた駅伝部の選手の思いを守るため。そして私は最終ランナーに選ばれた。
必死の思いで切ったゴールテープは、かけがえのない青春の思い出に
地区大会当日。秋の気持ちのいい空の下、最初のランナーがスタートした。
県大会出場は上位4組。私に襷が渡ってきた時、順位はボーダーラインの4位、後ろとの差はわずか20秒。重い襷を受け取り走り出した。
プレッシャーを感じる場面の中、私の心は冷静だった。大丈夫、大丈夫。自分のペースを保ちつつ、後ろとの距離を確認するため何度も振り返りながら一生懸命走った。
レース後半、監督の声が聞こえた。
「後ろを振り向かなくていい!前だけ見て走れー!」
走れ!走れ!ゴールテープを切るんだ!ゴールに向かって全力で走った。たくさんの応援と拍手の中、私は必死の思いでゴールテープを切った。
今でもこの後ろから追われている場面を思い出すと怖くてたまらなくなる。もしあの時逆転されていたら、私は2度の後悔で立ち上がることが出来なかったかもしれない。
でも全ては繋がっている。バレー部で鍛えられた体力、バレー部での後悔、それがあったから頑張れた駅伝。全ての出来事が必然で私にかけがえのない青春をくれた大切な時間だった。
その汗と青春の日々を今でもよく思い出し、どんな困難の中でもあの言葉で自分自身を奮い立たせている。
「後ろを振り向かなくていい!前だけを見て走れ!」と。