今年の夏こそは、と意気込んだ6月。運命的な出会いを求めるようになった今年の初夏。
社会人1年目の去年は夏を満喫できるほど余裕はなく、必死に毎日を過ごしていた。仕事の忙しさと連日の猛暑にやられ、頭痛が1週間ほど続き、頭痛外来で偏頭痛と診断されたのも去年の夏。追い討ちをかけるように国境を越えた遠距離の彼とも上手くいかず、仕事もプライベートも落ち着かない夏を過ごした。

公私ともに充実した日々を過ごしていたとき、友人が教えてくれたのは

今年度から職場が変わり、同じ職種であるものの、去年の忙しさとは打って変わってプライベートの時間も十分に持てるようになった。休日には時間をかけてパンを作ったり、ミシンで服や小物を作ったりと、まさに「公私ともに充実した日々」が作れるようになった。
今年の夏は色んな思い出を作りたい、と思っていた夏の初めに、久しぶりに再会した友人がマッチングアプリを使っていることを打ち明けた。

アプリでの出会いは何があるか分からない、怖い思いをするといった噂を聞いていたため、アプリに対しては抵抗しかなかった。その時の私はちょうど遠距離の彼と別れて半年ほどが経っており、新たな出会いは欲しかったが、友人からの勧めには踏み出せずにいた。

背中を押してくれる人に会おうと思い、アプリで出会った海外の人と付き合っている私の知人と食事に行くことにした。彼女の体験談を聞いたうえで、「辞めたくなったら辞めればいい」と言い聞かせてもらいながらその場でアプリをインストールした。

共通の趣味で弾むチャットでの会話。思い切って会ってみることに

登録が完了すると、瞬く間に「いいね!」がたくさん届いた。自分が不特定多数の男性に認められている、1人の女性としてアプローチされているという感覚が何とも新鮮で、快感のようなものを覚えた。

会ったこともない、見知らぬ男性とチャットをしている。自分に興味を持ってもらっている。初めての体験にドキドキもワクワクもした。同時に少し危ないことをしている、というちょっとした罪悪感もあった。

アプリを使い始めて1週間足らず、1人の男性が「こんなご時世ですがお会いしたいです」と送ってきた。その人とは好みのものや共通の趣味が多いこともあり、チャットの中で話が弾んでいた。私が行ってみたいカフェを知らせると、私の家の近くまで車を出してくれることになり、不安を抱きながら会う日を待った。

迎えた初対面となる日。時間よりも早く待ち合わせの場所に停車していた彼の車に乗り、目的のカフェまで向かった。道中はマスクをつけた横顔しか分からなかったが、1番恐れていた「プロフィール画像と明らかに異なる外見」ではなかったことにまず安心した。

たまたま同じ時期にアプリを使っていたから、互いの人生に入り込めた

カフェに着いて初めて面と向かって話をする。周りから見れば、お互い探り探りの、ぎこちない男女だったと思う。
出身校や今の仕事、過去の恋愛、家族の話など私から色々なことを聞き出した。相手から聞いてくることは多くなく、私に興味がないのか、ただただ緊張しているのか分からなかった。それでもまた次の週に会うことが決まり、チャットも毎日重ねていく。

それ以降は水族館やショッピング、野球観戦などお互いの行きたいところに時間の許す限り足を運んだ。特に野球観戦ではどちらも長年のファンということもあり、ファンならではのコアな知識を交えながら観戦を楽しんだ。

お互いに敬語だったところからタメ口に変わったり、「すごいね」と言ってもらうために新しい服を作って着て行ったりと、久しぶりの純粋な恋愛にときめく毎日だった。
私のくだらない話にも耳を傾けてくれ、優しくて真面目な彼。私が心から好きになったので思い切って告白し、晴れて付き合うことに。手を繋いで海岸沿いを歩いたり、滝を見に行ってマイナスイオンを浴びたり、夏らしいことを好きな人と共有できることの幸せを感じている。

私たちが使っていた某マッチングアプリは男性会員が250万人、女性会員110万人と言われている。その中のそれぞれ一人が、たまたま同じ時期に同じアプリを使っていて、交わるはずのないそれぞれの人生の中に入り込んでいる。
あの時友人にアプリを勧められていなかったら。やはり怖くなってアプリを辞めていたら。色々な偶然が重なって幸せな今がある。それがどれほど奇跡的なことなのかを実感している。
様々な奇跡が私の中に起こった今年の夏。私の人生の中の色鮮やかな1ページとなった。