小さい頃から、「ふるさとがある人」に憧れていた。
両親ともに東京出身で、ゆかりのある旅先がない。大人になったいまも、友人から「年末は地元に帰省」とか「お盆は結婚相手の実家に挨拶に行く」といった話を聞くたびに、羨ましく感じている。
そんな私が、二十代も後半になった今、ようやく「帰る場所」に出会うことができた。それが、川越だ。
小江戸と名高く、近頃若い人から観光地として愛されているこの街は、今年結婚する私と彼にとっての、「ふるさと」なのだ。
はじめて訪れた川越・氷川神社。その帰り道、私は彼に告白された
はじめて川越に訪れたのは、昨年11月。当時はただの知人だった彼から「蔵造りの街並みを見に行こう」と誘われたことがきっかけだった。
川越は、江戸時代・徳川家康の時代に、交易の拠点として発展してきた街だ。現在も、古くから残る商家や蔵が立ち並んでいて、レトロな街並みを保っている。
「時代劇にでてきそうなお店が並んでるね」
思わず感嘆の声を漏らす。
「この辺りは城下町だからね。ここから氷川神社に向かう道は、古いお店が多いんだよ」と、地理に詳しい彼が補足してくれる。
川越・氷川神社は、今から千五百年も前に作られた神社で、この街の守護神が宿る場所として、地元の人々から愛され続けてきた場所だという。
あまりの歴史のスケールに、少し圧倒される。そんな雄大な歴史をもつ神社は、今ではインスタ映えスポットとして、若い女の子たちから絶大な指示を得ている。「縁結び風鈴」と言われる色とりどりの風鈴が並んだ光景に、心当たりがある人も多いのではないだろうか。
そんな縁結びスポットに、付き合う前の私たちは降り立った。
木製の鳥居としては日本一の大きさを誇る大鳥居の奥に、やさしい薄緑の屋根の拝殿が見える。11月の氷川神社は特に催し物もなく、観光自体はシンプルに終わった。
告白されたのは、その帰り道のことだった。
「このタイミングでいうのも何だけど、付き合ってください」
それから、私たちは恋人になった。
ティファニーの結婚指輪を持って氷川神社へ。私たちは婚約者になった
半年後の今年5月、私たちはまたも、氷川神社を訪れていた。
その日の朝、銀座のティファニーで受け取ったばかりの結婚指輪を持って。付き合い始めたきっかけである氷川神社で、改めてプロポーズをするということは、彼から提案してくれたことだった。
「せっかくだから、二人にとってゆかりのある場所に行こうよ」と。
5月の氷川神社は、この前きたよりも観光地めいていた。敷地の外の公園から鳥居の麓まではたくさんの風車が飾られていて、境内の中は参拝客であふれている。
浴衣を着たインスタグラマー風の女の子たちや、カメラを構えた家族連れ、熱心におみくじをみる若い女性たちがざわめく敷地の中、隅っこのベンチで、彼は恥ずかしそうに、私に言った。
「こんなところで言っていいかわからないけど、僕と結婚してください」
そこで、私たちは恋人から、婚約者になった。
次に訪れるのは、結婚式か、結納か。川越は私たちのふるさとになった
帰りは、川越一帯を散策した。前回みた蔵造りの街並みだけでなく、駄菓子横丁と呼ばれる問屋街まで足を伸ばすことができた。
駄菓子横丁は、カラフルな石畳の小道で、20軒近くの駄菓子の問屋が並んでいる。どことなく、童心に帰ったような気持ちになった。
夕食は、小川菊という、この地でうなぎを焼き続けて200年を超える老舗店に行った。木造3階建の趣のある建物で、2階は御座敷になっている。
プロポーズしてはじめての食事がうなぎ。都心だったら有名店やレストランに行くようなシーンだろうけど、ひっそりと歴史を重ねたお店に行くというのも、風情があっていいなと思った。
隣の席では、はじめてうなぎを食べにきたらしき小学生の男の子が、ご両親にかこまれてごちそうを頬張っていた。このお店は、きっと何代にもわたって、こういう家族を見守ってきたのだろう。いつか私たちも、そんな家族になれるだろうか。
こうして川越は、私たちにとって、これからいつ訪れても、二人の関係を見つめ直すことができる、ゆかりのある場所になったのである。
次に訪れるのは、結婚式か、結納か。はたまた、いつか生まれる子供の七五三などもいいかもしれない。
生まれたときにふるさとがなくても、地方で帰りを待っていてくれる家族がいなくても、大人になれば、どちらも自力でつくることができるのだ。
思い出を重ねてふるさとをつくっていく旅を、これからも続けていきたい。