自分の顔が嫌いだ。
腫れぼったい一重まぶた。低い鼻。厚い唇。
真顔ならまだいい。笑うと顔のパーツが引っ張られて低い鼻は更に潰れて、唇は厚さが異常なほど際立つ。

「私って醜いんだ」執念深く、呪いのように心に残り続ける言葉たち

ちょっとからかうつもりで笑いながら言われたことも、私はバカ真面目に受け止めて傷ついた。誰がどこでなんて言ってきたのか、何年も前のことだけど覚えている。
我ながら執念深い。それが呪いみたいになって、ずっと辛かった。

その苦い記憶から更に追い打ちをかけるように、高校の時の大好きだった恋人には「どうしても顔が好きになれなかった」と振られた。
たまたま教室に入ったタイミングでクラスの男子が私の名前を出して、「あいつブスだよな」と笑っているのを聞いてしまった。

私って、私が思ってるより醜いんだと知った。
今でも友達から送られてくる他撮りで泣く。流行りの比喩じゃなくて、年甲斐もなくマジで泣く。成人式の前撮りもやらないつもりでいる。
だってきっと愛せない。また泣く羽目になる。

静かに決められた決意。自分を1番愛せるのは自分に決まってるんだ

でも、このサイトの一重まぶたに関するエッセイを集めた特集を読んで、ただ自分の中で静かに「もうやめよう」と決めることが出来た。
生まれつき二重の友達はとっても魅力的だし、バイト先の先輩にはぱっちり二重の可愛い人しかいないけど。

人を羨んで悲しい気持ちになって勝手に肩身の狭い思いをしていたら、そんなの私が1番可哀想だ。
大体、19年連れ添った自分の価値をたった数ヶ月、数年の付き合いの相手に決めさせるな。
親友がいても恋人ができても、自分を1番愛せるのは自分に決まってるんだ。その権限を簡単に人に譲っちゃダメなんだ。自分が1番じゃないといけないはずなんだ。別にアイプチをやめたって、二重に憧れる気持ちも心に付いた傷も消えないけれど、それでも私はもう二度と鏡の前の自分にガッカリしたくない。

エッセイが教えてくれた、人の評価じゃなくて自分の評価で生きること

私は外に出るとき、遊ぶとき、バイトのとき、アイプチをやめた。ついでに縛られていたパーソナルカラーってやつとも決別した。パーソナルカラーは身の丈じゃない。ブルベだろうが、私は大好きなオレンジを顔に散りばめる。

変えようのないところなんてほんとはなかった。
いくらでも変われるし、何年経っても変わらないままでいられる。
呪いをかけたのは確かに私じゃないけれど、「仕方ない」という言葉で諦めてその呪いに縋っていたのは私だ。

今、遠距離恋愛中の新しい恋人がいる。私には勿体ないくらい優しくて、私の内面の深いところまで愛してくれる人だ。そんな彼は、私の本当の姿を見たらどう思うだろうか。今はビデオ通話でしか顔を見て話せないけど、そんな時でも私は律儀にアイプチをしてからカメラをオンにしていた。鼻と口が見えないように、マスクの加工をつけて喋っていた。
それもいつか、やめられる日が来るかな。自分の外見が原因で大切な人を失うのは怖いけど、ちゃんと向き合って話さないといけないと思う。
人の評価じゃなくて自分の評価で生きていいんだって、このサイトのエッセイが教えてくれたから。