庭のない部屋に住み始めて6年。ふと、庭のある生活を思い出した

私は、庭のない部屋に住み始めて6年とすこしになる。庭のない私の部屋は、短絡的で、自由気ままで、変化がない。でもラクチンなので出られないのである。
この小さな箱の中で珈琲を飲みながら食べる羊羹が好きだ。小説を読むのも良い。
この箱の外のことは何も入ってこない。静かで安全で落ち着く私の城である。

ただし、庭がない。庭がないことはなんだか寂しい。庭のある生活を私は時々思い出す。
田舎で暮らした私は幼い頃から遊ぶときは庭だった。しあわせなことに私の家は芝生の庭とコンクリートの庭と畑の庭があった。
芝生の庭からは時々モグラが顔を出し、見つけて捕まえてはバケツで飼おうとした。親に怒られた。

モグラはモフモフとしていて結構可愛らしい。あんなに人に飼いたいと思わせるフェイスなのに、モグラは湿った土の中でひっそりとしている。ひっそりとしているのに、たまに狂暴になって私の芝生を荒らしていく。リアルモグラたたき。今でも私の実家の庭にはポコポコとした土で盛り上がった穴がある。

思いだす。「一緒に暮らそう」と敷地に迎え入れた家族以外の存在

見てくれは悪いが案外気に入っている。なんだか可愛いのだ。おなじ敷地に住む家族以外の存在。うん。良いよ。一緒に暮らそう。
コンクリートの庭ではローラースケート。一輪車。私が小学生の時からずっとリレーの選手に選ばれていたのはきっと「庭」のおかげだ。あそこでたくさん遊んでたくさん鍛えたのだ。

ローラースケートや一輪車はとにかくバランス力と思い切りが必要で、おじいちゃんの軽トラックの荷台につかまって何回も行ったり来たり。手を放して乗れたとき、嬉しかったなあ。スーっと進む感覚が嬉しくて、朝から晩まで乗っていた。

一輪車は妹とメリーゴーランドをして。こけて。泣いて。私は運動神経が良かったわけでは決してない。人よりもお庭が少し広かっただけ。
畑の庭はもう宇宙。なんだってできる。すごいのだ。

お父さんが休日ビニールハウスから出てくることがないのは、あそこが宇宙一過ごしやすいから。秘密基地って男のロマンなんでしょう。小説と、魔法瓶に入れた珈琲と大量のチョコレート菓子をもって行って引きこもりやがって……。

「なんだって利用できて、なんだって作れる」を感じていたあの日々

そんな父を横目に私は脚立を担いで、麦わら帽子をかぶって、サクランボ狩り。太陽にたくさんあたっている上の方の果実は本当に甘くて美味しい。おひさま、ありがとう。あ、おひさまありがとうは、もう一つあった。太陽風呂。井戸から汲み上げた自家水を屋根の上で温める。

天気じゃない日は火を燃す。残った炭は容器に入れて布でぐるぐる巻き。豆炭あんかの出来上がり。あんかを布団の中に入れておくと夜にはあったかほかほか。冬の足先を守ってくれるのだ。妹が低温やけどしちゃったことがあってからあんまりやらなくなってしまったけど。やっぱり冬は、おふとん、あっためたいなあ。

ほんとうは、何だって利用できて、なんだって作れる。お野菜もそう。同じ土からほんとうにたくさんのものが育つ。サクランボ、琵琶、みかん、檸檬、コスモス、薔薇、トウモロコシ、スイカ、メロン、きゅうり、トマト、ナス、インゲン、白菜、サニーレタス、大葉、柿、小松菜、金柑……。果てしない宇宙だ。

そして宇宙一美味しい野菜や果物を育てるおばあちゃんの手は、神様の手なのかもしれない。お庭にはお犬様がいて、黒いソファの上から目を細めてじっと私を見つめている。
そいつは私のことが嫌いだが、白菜を持っているときは違う。目を輝かせて尻尾を振ってやってくる。
そうかそうか。お前もおばあちゃんの作る野菜が好きか。美味いだろう。

生きていくことがつらくてどうしようもない時、あの庭を思いだす

そんな庭たちを私は愛していた。
心と身体が少しだけ軽くなる暖かいビニールハウスが好きだった。
踏む入れた土は柔らかく、ふかふかで優しかった。
井戸から汲み上げる水は冷たくて気持ちがよかった。

「庭のない私の部屋」が嫌いな訳では決してない。電気を消した部屋からのぞく豆苗の芽が好きだ。つめたくて固い都会も味わい深い。涙でにじむ東京タワーも。夜の散歩も。おしゃれなカフェも。ヒールを鳴らして歩くアスファルトも。ビルの間に咲く桜が本当に綺麗なことも知っている。

けれど、生きていくことがつらくてどうしようもない時に思い出すのはあの庭なのだ。
おひさまの光だけでことたりる、土や水や花の匂いに満ち満ちて、だれからも責められないあの宇宙が好きなのだ。あの宇宙に帰れるだけで生きようと思えるのだ。