「子どもたちはよく、『ふるさとがない』と言います」
いつだったか母が書いた文を読んでドキッとした。

いつか終わりが来ることは常に頭の片隅に。私にはふるさとがない

我が家は転勤族だった。
ふるさと愛のある母からすると、ふるさとがないという思いをさせているという申し訳なさがあるのかもしれない。
今は別にそれで困ってるわけでもなんでもなく、おそらくただ何気なく言っただけのことだったのでこちらが逆に申し訳なくなった。
確かに、私にはふるさとがないと思っている。

住む場所は2~3年ごとに変わる。学校から歩いて5分のこともあったし、30分かかることもあった。
いつか終わりが来ることは常に頭の隅にあって、嫌な人がいればあと2年我慢すれば引っ越せるから頑張ろうと思えた。反対に、気の合う友達ができれば、あと2年もしたらこの子と離れなくてはいけないのかと悲しくなった。

周りの友達は、自分自身がここにいることが正解と分かっていたようだったけど、私は自分がどこにいるのが正解かわからなくて、ふわふわと地に足がついてない感覚だった。

距離の遠い「ふるさと」でも、何度引っ越しても変わらないことがある

もちろん一度住んだ県は、ふるさと納税の候補の土地になるくらいには愛着が湧く。ただそれがふるさとかと言われると謎だ。2人組の友達に仲間に入れてもらって一時的に3人組にしてもらったような、そんな居心地だ。
ふるさとというのは、地元の友達、とか、保育園のときからの友達、みたいな言葉とセットで私から遠いところにある。

その代わり、何回引っ越しをしても変わらないところもあった。それが家の中の景色だ。父の職場が提供してくれるアパートは、左右反転してるかどうかの違いくらいで、全国どこでもたいてい間取りが一緒なのだ。

玄関から入ってすぐにお風呂、洗面所、トイレ。反対側の部屋には父親の部屋、百科事典や手塚治虫の『ブッダ』、岩明均の『寄生獣』なんかが置いてある。ちょうど家の真ん中に台所とリビングがあって、炊飯器の棚の上の方には通称「お菓子箱」が置いてある。レパートリーはせんべいなどしょっぱいものが中心だ。リビングを通りふすまを開けて、玄関から一番遠いの二つの部屋は寝室か子供部屋と決まっている。

住んでいる家が、私たち家族を連れて新しい場所に引っ越している

転校初日、道に迷わないようにどきどきしながら帰ったけれど、家に帰ったら馴染みのある景色が広がっていた。その時、不思議な妄想が浮かんだ。
生まれてからずっと住んでいる家が、私たち家族を連れて新しい場所に引っ越してきたんだろうなと。
ずっと友達だよ、と言い合っていた友達と手紙のやりとりが途絶えてしまっても、住む家だけはほとんど形も変わらず私のそばにいた。

この間取りの家に住まなくなって10年以上経つけど、未だに夢に出てくる時がある。私が生まれ育った場所はここしかないのだ。あえて挙げるなら、これが私のふるさとなのかもしれない。

ある日の実家からの帰り道、旦那が言った。
「あと2、30年したら実家に戻ろうかな」
その土地に「戻る」、という感覚がよくわからなくて、私の知らない情緒があることがなんだか羨ましい。
一緒に来てくれる?と聞かれた。
ええ、行きますとも。
私はどこにだって行けるし、なんでもふるさとにできると思うよ。