今年の夏は私にとって、ひときわワクワクするものだった。
トリプルワークを辞めて、1箇所のバイトに絞ることで、小さな大人の夏休みを手に入れた。夏休みの期間は2ヶ月ほどある。その夏休みの中には、原稿合宿や友人たちと夜な夜なの通話など、沢山の出来事が詰め込まれていた。

この夏、魅力的な出来事ばかりだったけど、オリンピック観戦は外せない

どの出来事にも魅力的なところはあったけれども、やっぱりオリンピック観戦は外せない。
そもそも、オリンピック観戦をする気はなかった。スポーツにも縁遠いし、特に応援したい選手もいなかった。それなのになぜ観てしまったかというと、Twitterで「スケボーの解説がゆるい」というツイートを発見したからだ。
「やべー」とか「ぱねぇ」とか、そんなNHKのスポーツ解説らしからぬ解説が聞ける。それだけでワクワクした。難しい技の解説を立て続けに聞くより、観た瞬間に「やべぇ!」と思うような感性の方が私には合っているからだ。
急いでテレビをつけると、まさにスケートボードのストリート、男子の決勝戦をやっているところだった。

スポーツの規則に基づき厳粛にという価値観が、視覚的にぶっ壊された

私は画面を見た瞬間、新しい時代の風が吹いているのを感じた。
スケボー自体がカラフルで、灰色なコンクリートの会場に映えている。選手が着用するユニフォームは、街中のストリートから抜け出たようなデザイン。ポケットにスマホを突っ込んで、Bluetoothイヤホンで音楽を聴きながら滑る。ヘアスタイルも、男性でありながらロングヘアが珍しくない。年齢制限はあるものの、基本的にヘルメットの着用は自由である。
オリンピックでやるスポーツは、どれも規則にはまっていて、厳粛に進み、歴史と伝統があるものだという私の価値観が、まず視覚的にぶっ壊された。
そして、スケートボーダーの瀬尻稜さんの解説は、「やべー」と「すげぇ」と素直な賛辞で構成されていることに感動した。メイクが決まれば(技が成功すると)みんなで称え、失敗してもガッツを褒める。アスリートたちはどんなに成功率の低い技であってもガンガン挑戦して、バンバン決めていく。
それを観た感想を思うまま口に出せるのは、やっぱり第一線で活躍する瀬尻さんならではなんだろうと思う。自由さと横の繋がりは、とても新しいものに見えた。

いいじゃん、今からでも。いつがスタート地点になるかは重要ではない

スケートボードは得点が0点で終わる可能性もある。しかし、アスリート達は挑戦を続ける。もっと驚くことに、なんと失敗しても楽しそうなのだ。街中で友達と一緒にスケートボードをしていて、「また失敗しちゃったよ」とでも言わんばかり。滑ることが楽しいのだと全身で表現していた。
私はその「自由な楽しさ」に、すっかり魅了された。
「私も滑ってみたいな」と、遠く離れた友人との通話で、そう口にしていた。
「でも、無理だしな」
家の近くに公園はない。スケートボードは買わなきゃいけない。一緒に滑る友達もいない。肉体的に若くもない。
いろんなダメな要素を考えて、無理と判断した私に友人は「いいじゃん、今からでも」とあっけからんと言った。
私は、はっと息をのんだ。
「今からでも」という言葉には無限の可能性が詰められていた。それは、これからのスケートボード界の成長に重なるものを感じた。いつがスタート地点になるかは重要ではない。これからやることにこそ、未来がある。
私のポリシーでありながら、いつからか忘れていた自分がいた。やりたいと思った気持ちを大切にしたい。それは、自由に挑戦しつづけたいということ。その原点に立ち返った気がした。
挑戦したいのは、小説を書くこと、資格試験の勉強をすること、アクセサリーを作ることマラソンをすること。挙げればキリがない。
時世は厳しいので全部できるとは限らないが、挑戦しつづける意思を捨てなければいくらでもスタートできるはず。