おばあちゃん。小さい頃から唯一信頼していた大人。私が初孫だったから、優しくも厳しかった。おばあちゃんちに行くと、美味しい料理をいつもふるまってくれる。私の好きなぽたぽた焼きやチョコパイを毎回買っておいてくれる。お小遣いはもちろん、大学生で一人暮らしを始めると、野菜やお米もくれた。大好きな人。
2歳の時、自分の家に帰りたがらず、おばあちゃんちでぐずっていた事は今でもおぼろげに覚えている。
大学生になり、おばあちゃんは私にとって高額なお金をくれるようになった。ラッキーと思えば良かったのかもしれない。でも、私はそう思えなかった。
行く度にもらえるお小遣い。申し訳なさ、罪悪感が積もった。
「アルバイトしているし、奨学金も借りてるから、大丈夫だよ。いらないよ。」
と言っても、あの手この手を使って渡してきた。私は徐々におばあちゃんちに行かなくなった。
時間は取りもどせない。泣くことをやめて、今出来ることをする
私がおばあちゃんちに行かなくなってから1年。
6月なのに夏みたいに暑い日。おばあちゃんは倒れた。
夜中に母から連絡が来た。ショックで、何が起こっているのか、わからなかった。理解できなかった。涙だけが出てきて、恐ろしくて眠れなかった。
おばあちゃんに出来なかった事はたくさんあった。謝りたいと何度も悔やんだ。
心のどこかでは「おばあちゃんちに行った方がよい。そろそろ会いに行こう。」と機会を伺っては、決心がつかないでいた。時間を取り戻す事はできない。だからこそ、悲しむ余裕を自分には与えなかった。
今できる事をしないといけない。泣く事をやめた。
私は大学へ行きながらも、家事が出来ないおじいちゃんに代わって住み込みで手伝いをした。母は「ご飯が食べれない。眠れない。」と言っていたので、食べやすいものを作った。泣く母やおじいちゃんの代わりに私は動いた。私に泣く時間なんてなかった。
強いて言えば、大学からおじいちゃんちに帰る信号待ちの車の中。その瞬間だけ泣いた。
いつも明るく振舞っていたおばあちゃんみたいになろう。おばあちゃんが大切にしていた家も初めて掃除した。こんなに大変な事を毎日続けていたおばあちゃん。尊敬した。
「おかえり」泣きそうになりながら、おばあちゃんを出迎えた
手術前にお医者様から「五分五分です。」と言われたが、おばあちゃんは何とか命を繋いだ。コロナ禍で面談にはあまり行けなかったが、孫の中で唯一面談を許された。
「おばあちゃん、分かる?私だよ?全然会いに行かなくて、本当にごめんね。」
「いいんだよ。おばあちゃんこそごめんね。来てくれてありがとうね。」
2人して泣いた。おばあちゃんが生きているだけで私は嬉しかった。
半身麻痺を残したものの奇跡的と言って良いほど、おばあちゃんは元気になった。私達はおばあちゃんの「お家に戻りたい」という想いをくみ、在宅介護となった。
おばあちゃんが帰ってくる日。私は家の中でおばあちゃんを迎えた。何て言って良いかわからない顔をしていた私に
「ただいま」
とおばあちゃんは言った。
「おかえり。おばあちゃん」
と私は泣きそうになりながらも笑顔で迎えた。