やっと始めた一人暮らし。用がない限り実家に帰ることはなくなった

私のふるさとは、いわゆる「ふるさと」って感じがまるでしない。ただ自分が幼い頃から住んでいる「住処」があるだけ。ついこの間まで、その言葉は私と違う世界のものとして存在していると思っていた。

だって、大型の休みに入ると、いつ実家に帰るのか話題になっていたとしても東京出身の私には大々的な帰省イベントなんてないし、小学校から電車通学だから近くに自分を知る友達が住んでいるわけでもないし。何だかつまらない。
大きな家で親戚に囲まれて家族団欒の時間を過ごす映画「サマーウォーズ」に出てくるような景色に憧れを抱いていた。

私は昨年の春にそんな「ふるさと」とは言い難い、実家から電車で40分くらいの場所に引っ越して、やっと1人暮らしを始めた。
スーパーや駅が、実家で暮らしている頃より遥かに近くなったし、主要駅にも出て休日にショッピングもしやすい。職場から1本で帰れることもあって、快適な生活のしやすさを感じれば感じるほど、用がない限り実家に足を運ぶことなんてなかった。

友人が実家の近くに引っ越してきたので、久しぶりに実家に顔を出した

ところが、つい先日ちょっとしたミラクルがあった。
大学の頃とても仲良くしていて海外旅行にも一緒に行っていたような友人が、フランス人の彼氏と同棲をし始めた、と連絡があった。
どこに決めたのか気になったので、住所を送ってもらったところ、私の実家から歩いて15分ほどのところだったのだ!

その友人は名古屋出身なこともあって、その町に住む理由にすごく深い意味があるはずもない。幾つか見た都内の物件の中で雰囲気が一番しっくりきたのだそうだ。
そうなれば、私も実家に足を運ぶ理由ができたわけだ。行かないわけにはいかない。この間久しぶりに早速、実家に顔を見せながら友人の家にもお邪魔をしてきたのだった。

滅多に行かない駅とは反対方向のエリアにあった友人の家まで歩いてみると、古びた公園の遊具に見覚えがあった。
「懐かしい……弟やお父さんと幼い頃によくきた“タコ公園”だ!(ただ遊具がタコの形に見えるからそう呼んでいた)」
そんな懐かしい記憶にじんわり心がほぐれながら、この町に親友が暮らしていると思うと何とも不思議な気分だった。

自分では気付かなかったけど、沢山の場所と記憶は繋がっているんだ

「どう?この町には慣れた?」
「うん、コロナで遠出ができないから散歩することが多くて。そこのスーパーは安いよね。駅向こうにある小さな焼き鳥屋さんは美味しいよね。ここら辺で運動するとしたら、あそこの文化センターなの?」

安いスーパーはお母さん御用達で、よく一緒に買い物に付き合ったな。
小さな焼き鳥屋さんは、炭で焼く匂いに連れられてよく自転車で店の前を通ったな。
そこの文化センターにある温水プールでお父さんに平泳ぎを教わったな。

そうか、自分では気づかないほど沢山の場所と記憶が繋がっていて、そこで見た景色も得た経験も嗅いだ匂いも、全てが思い出だったんだ。「ふるさと」だったんだ。
私には「ふるさと」がないなんて、そんなことはない。私を知る人はそこにいなくても、私はそのまちを知っているから。そして、そこで育ったことは確かだから。

ミラクルが蘇らせてくれた「ふるさと」の記憶。もっともっと、私のふるさとを友人に知ってもらおう。友人の第二の「ふるさと」になることを願って。