今年の夏は、何も手につかなくなった。現実を受け入れたくなかった。頑張る気がなくなった。

何もかもが嫌になった。自分が情けなかった。

全部全部自分が悪いのに、今年の夏は「前に」進めなかった

思っていることを素直に伝えられないこと。向き合うことができないこと。2学期が始まってほしくないと思っていること。逃げたくてしょうがないって思っていること。全部全部自分が悪いのに、自分で自分を追い込んで悔やんで、苦しくなって、悲しくなって、こんな自分が嫌い。

それでいて、向き合うことが怖くて、避けて、楽な方を探そうとして、でも楽な道に行くことが不安で、私はどうなりたいのってふりだしに戻る。今年の夏は、前に進めない夏になった。

思い切って家全体の片付けをしようと試みると、周りから勝手なことをするな、自分勝手だと非難され、やる気喪失。部屋が汚いことに家族が慣れてしまい、人の物の上に寝転がっている。そのため、私が仕事で使うものも無下に扱われ、ボロボロにされていた。

だから、そういう危険性を避けるためにも片付けを開始したが、汚いことに慣れた人は、自分の物が退けられるだけで文句を言う。それを自分勝手呼ばわりされて腹が立った。

でも、言い返せなかった。言い返したところで、きっと言いくるめられると初めから諦めてしまった。

また、片付け1つで家族間がギスギスするのが嫌だった。だから何も伝えることなく片付けだけをやめた。

いろいろなことが起こり、私の気持ちは追いつかなくなってしまった

ここ数年連続出場していたコンクール、今年でそのコンクールは最後だった。10ヶ月も前から練習し、予選突破は確実と思っていた。しかし、3年連続通過した予選に落ちた。嘘かと思ったが、落選の通知が届いた。

何もやりたくなくなった。練習をする段取りを決めていたのに、ぽっかり穴だけが空いた。結果は残酷だ。練習過程を見てくれているわけではないのはわかっている。でも、それでも受け入れることが難しく、現実逃避してしまった。

浴衣の着付けの練習をしようと思ったが、イベントはコロナで次々と中止。やったところで意味がないように感じ、練習する気もなくなった。いつかのためになるはずだが、やる気が削がれていたため、浴衣をタンスから出す気にすらなれなかった。

2学期の準備をしようとプリントを少し準備したが、コロナで突然のオンライン授業に変更。今までのような授業がいつできるかもわからなくなった。

座席や授業計画を立てようと思ったが、見通しが立たないような気がして何もしなくなった。いずれ通常授業に戻るはずだが、気持ちが一切乗らなかった。2学期が始まることが憂鬱になった。

いろいろことが起こったりわかったりして、私の気持ちは追いつかなくなり、何も手につかなくなった。そして、結果的に何もやらなくなってしまった。

本当は、仕事の準備も家のことも趣味のことも、夏休みシーズンになる前にたくさん計画を立てた。でも、やれぬまま、時間だけが過ぎた。私の今年の夏は終わる。

自分を責めて落ち込んでいたが、必ずやらなきゃいけないことではない

そして夏が過ぎようとした今、ふと思った。「それほどやらなければならなかったことだったのか」。

結果が変わるわけでもない。今の状況が変わるわけでもない。過ぎた時間は返ってこない。しかし、私が立てた計画はやらなければならないことだったのだろうか。

もちろん、できたらよかったに違いないが、できなかったから何か悪いことが起きたのか。いや、何も起きたわけではない。

自分ができなかったからと責めて落ち込んで嫌になったが、落ち着いて考えてみれば、必ずやらなければならなかったことではない。そう気づいて思った。「やらなければならないことをやらなければならない時に、頑張れたらいい」と。

きっとこの夏は、やらなくてよかったんだ。今まで頑張ったんだから、この夏やれなかっただけで自分がダメになるわけじゃない。

来年の夏は、今年の夏よりできたことが増える夏になるよう、今は少し気持ちをおやすみさせようと思う。