思えば、今まで焼き肉に行くと、私の前にはいつも私のために肉を焼いてくれる人がいた。両親、恋人、好きだったけど恋人にはなれなかった人。
私はその事実に対して、なんの疑問も抱くことなく(もちろん感謝はしたけれど)、その人が焼いてくれた肉を食べ続けた。
インターンの機会をもらい、金沢に1ヶ月ほど滞在することになった
今年の夏、私は1人焼肉というものができるようになった。転職活動をする中で、ある団体からインターンシップの機会をもらい、金沢に1ヶ月ほど滞在していた。
もともと国内、海外問わず、旅をは好きだし、モットーは「旅をするように暮らし、暮らすように旅をする」人間だ。1ヶ月も知らない街で暮らせるなんて、私にとってこんなにありがたい話はなかった。とくにコロナ禍では思うように旅行もできず、旅に出たい気持ちが長い間私の中で燻っていた。
ビジョンに共感して、自分が学びたいことも、自分に貢献できることも、マッチしていると感じてやらせてもらったインターンだったが、悩むことも多かった。今までに経験したことのないベンチャーのスピード感。人間関係。ひっきりなしに人が出入りする、ゲストハウスのドミトリーでの暮らし。料理や洗濯が思うようにできない窮屈さ。そんなこと、もちろん重々承知で参加したのだけれど、見通しが甘かったといえば甘かったのだろう。
北陸の夏は暑く、その湿度と気温にもやられた。朝からの仕事ではないのをいいことに、お昼近くまでドミトリーのベッドでゴロゴロ何をするでもなく過ごした。もうそんなことしてる時点で、ベンチャーで働ける見込みゼロなのだけれど。
27年間生きて1人焼肉なんてしたことなかったから、最初はドキドキした
そんな感じでお昼近くに起きてきて、さあ何を食べようとなった時に、肉が食べたい! と思うことが何度かあった。朝ごはん兼昼ごはんだから、スタミナをつけなきゃ、というのもあった。
そしてその度に、私は泊まっていたゲストハウスのすぐ下の階(ゲストハウスは3階にあった)にある、どちらかというと高級めな焼肉屋さんに、ほとんど部屋着と部屋ばきのままふらりと入り、焼肉ランチを注文して1人で肉を焼いて食べたのだった。
そこは、なかなかお高いお店だったのだけれど、ランチタイムはおいしい能登牛や能登豚の焼肉がお得に食べられることで知られているお店だった。初めてその店に入った日のことは、よく覚えている。1人で焼肉屋に入るなんて、27年間生きてきて1度もしたことがなかったから、ちょっぴりドキドキした。
中に入ると、全ての座席が半個室的に仕切られていて、1人でも全く気兼ねすることなく、1人焼肉をすることができた。自分の食べるお肉は自分で焼く、という考えてみれば当たり前のことを、私は初めてやった。
それは、やってみるとなかなかに責任感と注意力とが必要とされる作業であり、お皿にのっていた全てのお肉を上手に焼き上げ食べ尽くした後には、なんともいえない充実感が残った。
1人焼肉を経験し、このままではいけないと「自分の人生」に考えた
今年の夏を振り返ってみると、それは一言で表すならば、自分について学んだ夏であった。そしてそれは、1人焼肉に行き、自分の食べたい肉を注文し、自分で焼いて食べる、というのによく似ていた。
説明しよう。私はこの夏で、自分がいかに「いい子」でいることに囚われていたかに気づいた。私の中で、「いい子」でいることは「とにかくがんばる」と同義だった。だから、なんだかよくわからないけど、今までまるで何かに追われているかのように、がんばってきた。
でも、知らないうちに自分の体に鞭を打ち、無理をしていたから、よく体を壊したし、精神的にかなり不安定になった時期もあった。そしてそれは、幼いころ両親が連れて行ってくれた焼肉屋で、両親が注文し、食べごろになるまで焼いて、タレまでつけてくれていた肉を、何も考えずにむしゃむしゃと食べていたのと同じだったのだ。
私は今まで、自分がなんの肉を食べているのか、それを自分がおいしいと思っているのかすらわからないまま、両親が用意した「いい子」の人生、という名の焼肉屋で肉を食べていた。
でも、今年の夏、1人焼肉をしながら、このままではいけない、今のままでは嫌だ、と思った。自分の人生、自分で責任取らないと。自分の思う「楽しい」人生、生きないと。そう思った。
今年の夏は、1人焼肉をしながら、人生について考えた夏だった。