今年の夏は、いつもより焼けている。外を歩き回っているからだ。しかも、面倒だからと日焼け止めクリームを塗っていないから余計に焼ける。
このご時世に外を歩き回るのは、それが仕事だから。連絡事項を伝えたり、事務所に来ない人に呼びかけたりする。
私は、今、対人支援の現場にいる。
「やってられない」と思うこともあるけど、お節介をすることが私の仕事
ここでは、みんながみんな、助けを求めているわけではない。どう助けを求めればいいのか分からない人や、助けを拒む人も多い。
よくよく考えると、とてつもなくお節介な仕事だ。助けを求めていない人に対しても、助けを出そうとするのだから。
約束を破られたり、嫌なことを言われたりすると、「もうやってられない」と思う。でも、お節介をすることが私の仕事だ。しつこく約束を取り付けなければならないし、嫌な人とも関わっていかなければならない。
そういう時、心底、面倒くさいと思う。相手が困っている人だからといって、急に私に慈悲の心が生まれるわけではないのだ。
同時にこうも思う。「この人も面倒くさそうだな」。私たちは、お互いのことを面倒くさいと思い合っている。ある意味、両思いだ。
「面倒くさいけど、仕事だから助けさせて」と願いながら仕事をする
そう思ったら、相手を見る目が、「困っている人」から、「私のことを面倒くさいと思っている人」になる。そう思ったところで何も変わらないけど、少し連帯感のようなものが湧く。私の勝手な思い込みだけど、そう思わなきゃやってられない。
「あなたも面倒くさいだろうけど、私も面倒くさい。面倒くさいけど、仕事だから助けさせて」そう願う。
助けるといったって、色々な形がある。私に出来ることは、ほんの少しのことだ。病院に同行するとか、少しお話しするとか、仕事探しを手伝うとか。
でも、今までの人生で、そのほんの少しの助けも得られなかった人が存在する。そんな人たちを見て、助けたいと思う人もいるだろう。
「私こんなひどいことを思えるんだ」と知り、少し開放的な気分になれた
私は、思わなかった。どこまで行っても他人事だと思っている自分がいる。一生、他人事のままかもしれない人と関わることが、私にとってどんな意味があるのだろう。
今まで、腹を立てたり、人を嫌うことは良くないことだと思っていた。でも、ここではそんなことを言ってられない。腹を立てることや、嫌うことに理屈なんてないんだと知った。
それは、私にとって大発見だった。「私って、こんなひどいことを思えるんだ」と。少し開放的な気分になれた。
会う約束を破られ、家を訪ねる度に、心の中で悪態をつきながら町中を歩く。そんな時間を繰り返しながら、自分の感情が様々な色を持っていることに気付く。
不思議だけど、その体験は、悪いことばかりじゃない。だからこそ、何となく辞めずに歩き続けている。
まだ、夏は続く。今年は、どれくらい焼けるだろう。