かがみよかがみで初めて書いたエッセイ「正社員=幸せ?固定概念を捨てたらわかった、私にとっての幸せ」。
文章を書くという行為はずっと続けていたことだけど、エッセイという分野に挑戦したのはこれが初めてであり、私にとって思い出深い作品だ。
加えて「お金との距離感」というテーマで編集部選にも選んでいただいた。
このエッセイを書いてから約1年が経った。
相変わらず私は文章を書き続けている。言葉を扱うことが好きなのはきっとずっと変わらないと思う。
書くという行為自体は変わらないけれど、どういう目線で、どういう立場で書いていきたいのか、それがこのエッセイの後日談である。

安定した正社員を捨て、研究者として論文を書く日々を選んだ

このエッセイ内では、比較的一度は皆が就職する、そんな話を最初に少し書いた。
私も世間一般の当たり前の道である就職を選んで、どこにでもいる社会人として過ごしていた。
ここでは詳しいことを書いていなかったが、ざっくり話すと、大学時代に歴史や博物館に関することを学んでいた私は、それらに関する研究者になるのが夢だった。
そんな夢にずっと蓋をして、会社勤めをしていたのだ。
その中での想いはエッセイを読んでいただければ分かるかと思うが、やっぱり夢を捨てきれなかった私は、安定した道を捨て、素晴らしいご縁があったおかげで、研究者としての一歩を踏み出した。
歴史や博物館界隈で仕事をする人間にとって切っても切れないのが、自分の研究を論文として発表することだ。
もちろん私も論文を書いた。本で先行事例を読んでは自分の研究へと活かしひたすら書く。そんな日々が続いた。

ライターの仕事を通して気づいた、私が本当に好きなこと

研究者として歴史に関する論文を書いていたが、それと同時にライターとしても活動していた。
ライターといっても様々なタイプがいて、私は主に旅や旅行関係のメディアを中心に書いていて、更にその中でも歴史に焦点をあてた記事を比較的得意としていた。本業の影響だろう。
もちろん研究者として歴史を伝えるわけではないので、簡単に分かりやすく、観光要素を数多く盛り込んだ世間受けするものである。
本業である研究者としての時間以外で活動するライターとしての仕事。
どちらも書くという行為は一緒だけれど、いつしか研究者として歴史を書くことや伝えることの難しさを痛感し、なかなか書くことができなくなってしまった。
それと同時に、まちづくりや観光といった視点で歴史を発信していくことが好きだと気付いた。

恩師の言葉を胸に、夢への足掛かりとして広報に転職

研究者として食べていくことは難しい。しかも世間一般からすれば、その入口ですら狭き門だ。
そんな狭き門に導いてくれた恩師ともいうべき人物がいる。
そんな恩師に今の仕事へ転職することを伝えたときは、自分でも驚くくらい泣いてしまった。正社員時代に悩んでいた私を救ってくれたのに、その恩師を裏切るような形になってしまったからだ。
だけど恩師は「やりたいことをやった方がいい。次の道が決まっていることは私としても嬉しいから」と言ってくれた。
そんな恩師の言葉を胸に、この春転職をした。
いきなりライターとして独立することは難しいので、まずはその足掛かりとしてまちづくり・観光関係で広報の仕事を始めた。
もちろん正社員ではない。安定よりやりたいことが私にとっては大事だから。そこの軸はずっとぶれていない。

そんな私は今、転職先で文章を書き、ライターとしても文章を書いている。
一言で言うとどちらもすごく楽しい。
転職した仕事は期限付きだ。不安がないと言ったら嘘になるけれど、期限があるからこそ、独立に向けての準備も計画的にできると思っている。
自分の奥にあった本当の気持ちに気付くまで、遠回りしすぎてしまったような気もするけど、その気持ちに気付いて行動することが何より大事だと思う。

これが私の後日談である。