自分に課した「休む」という夏休みの宿題。ベストプランをたてたけど

花火も海もプールもない、そんな夏も2度目となると驚きもない。
まだワクチンを打てていない私は、首都圏への帰省もあきらめて、ひとり快適な独房ことワンルームの自分の部屋で、お盆を過ごすことにした。

自分に課した夏休みの宿題は、休むこと。
なのに、たったそれだけのことが出来ずに、お盆明けを迎えてしまったのだ。

今年の夏休みは、8割以上の時間を家で過ごした。「満足いくまで寝よう」と決めて、目覚ましはかけず昼過ぎまで眠る。
だらだら寝ることに飽きたら、携帯・財布だけ抱えて、カフェに行く。
おなかが空いたらスーパーで総菜を買って帰る。
一人気まま、夏休みのベストプランだ。

それなのに、なぜだか私の心は休まらなかった。
頭の中では、お盆前に積みあがった仕事や、休み中も来ているかもしれないメールが気になってしまう。だからと言って何をする訳でもないのに、心を消耗しているだけだ。

「とことん休む」と決めたくせに集中しきれず、より心を疲れさせた

お盆前に借りた本も、開かなきゃ、読まなきゃと思いながら、ただ静かに部屋の隅に置かれている。自分で「とことん休む」と決めたくせに、なんだか集中しきれない。
そのすっきりしなさが、より心を疲れさせるということは、私もよく知っている。

昼に起きてから、友達と電話した日もあった。その間は楽しくても、電話の後すぐに始まる大反省会。
「あの言い方、感じ悪くなかったかな」
「ああ言えばよかったかな」
うーん、うーん。相手は長いつきあいの友達で、たとえ私が失言の1つや2つしていたとしても、急に愛想をつかしたりはしないはず。

こうしてウンウン悩む時間は、そんな友達の信頼に対しても失礼な気がして、嫌になる。
お盆が明けて、この文章を書きながら、はたと気が付いた。私って、本来こんな人だったじゃないか。

くよくよしている私だから、気づける感情、書ける文章があるはず

一人でいるときは基本くよくよしていて、低気圧の日は余計ひどくなる。繊細さに特化している代わりに、思考や感情はモクモクと広がり、心に想像の小宇宙を飼う私。

そして、勝手に一人で増幅させたもやもやした気持ちを、こうして文章にすることでしずめてきた、そうやって自分に折り合いをつけて生きていたではないですか。
最近、めずらしく誰かと一緒にいることが多かったから、そんなことも忘れてしまっていた。

これが私、平常運転。くよくよしている私だから、気づける感情、書ける文章もあるはずだ。あまり気が休まらなかったようにも思ったけれど、いつも通りの私のペースを思い出させてくれた、そんな夏になった。