私は故郷である東京が嫌いだった。
思い出という思い出もなく、はやくここから出たい、その一心で高校卒業後、母方の祖母の家がある田舎にひとりでやってきた。
そこは幼少時代から長期休みごとに数週間ほど滞在していたが、長く住むのは初めてだった。田舎は東京に比べて、ゆっくりとした時間が流れているような気がした。

渋谷から塾の帰り道、大人に囲まれ自分の居場所などないように感じた

私の母親は所謂教育ママで、幼少期から中学生まで、私の意思など関係なしに、習い事をさせられた。大嫌いだったピアノにバイオリン、塾、水泳など毎日泣きながら通った。みんなといっしょに放課後遊びたい、毎日思っていた。今思うと、私の人生で1番辛かった時期だった。
よる10時、渋谷にある塾から、ひとりで家に帰るまでの東横線の中、大勢の大人に囲まれ、自分の居場所などないように感じた。このまま電車に乗ってどっか行ってしまおうと、何回も考えた。
高校生になると、少しずつ親の手が離れ、母親に指示されるがままにやってきた私は、自分ひとりで何もできなかった。何も考えず適当に過ごし、勉強はせず、ぎりぎりで高校を卒業した。案の定、どの大学にも入れず、1年浪人をした。
しかし、3年間何もしなかった時間に対し、たった1年間の浪人時代は短すぎた。結局第1志望の国立大学には入れず、祖母の家のある場所から近い、学費の安い私立の女子大に入ることになった。

将来への不安を解消したくて猛勉強し、3年次編入試験に挑戦

大学1年の冬、久しぶりに東京に帰り、成人式の同窓会に参加した時のこと。
行きたい大学に合格した同級生たちと再会した。皆、楽しい大学生活の話を披露し合っていた。私は浪人したにもかかわらず、行きたかった大学にも入れず、ぼんやり過ごしていたため、とても惨めだった。高校時代いっしょに遊んでいたはずの元恋人も、大学生活を満喫していた。とにかくはやく、東京から出たかった。
その日から、自分の将来について毎晩不安が襲ってきた。自分はこの何年間、何してきたんだろうか。自分は将来どうなってしまうのだろうか。夜な夜な考えていた。
そんな時、ネットで国立大学にも3年次編入があることを知った。これだ、と思った。これなら、自分が1番入りたかった大学に入れる。その日から私は、毎日8時間勉強を始めた。編入のための予備校に通うお金もなければ、頼る人もいなかったが、自分で教科書をメルカリで買い集め、今までないほど、がむしゃらに勉強した。がむしゃらすぎて、辛いという感情もなかった。
猛勉強を始めてから半年後、夏休みに編入試験が行われ、私は無事、3年次編入の切符を手に入れた。

今住んでいる場所でもう少し頑張り、行く行くは東京に帰りたい

これで、私も惨めさを感じずに、東京に帰れる。高校時代の友達にも会える。祖母や両親に報告すると、とても喜んでくれた。小学校時代から、私に学費をかけてくれた恩返しを少しできた気がした。大学3年生で編入し、勉強についていくのは大変だったが、周りの環境にも恵まれ、充実した日を過ごした。
編入して半年たった夏休み、東京に帰省した。夜行バスで品川駅についたとき、不思議と安心感があった。高校時代よく見た駅、ビルや人の多さ、懐かしさで少し涙が出そうだった。
来年私は、大学を卒業し、建設コンサルタントの職に就く予定だ。技術士1次試験の突破を目指すべく、勉強に励んでいる。就職活動時、卒業したら東京に帰ろうかとも考えたが、親戚や祖母の住んでいる場所で、もう少し頑張りたいと思った。行く行くは、技術士の資格をとり、東京に帰りたいと思っている。
大学1年生の冬、編入試験を受ける決断をして良かった。故郷、東京に帰りたいと思えるようになった。