……延期、縮小、中止、無観客。「はぁ……」。バイト終わりに開いたスマホのニュース画面へのため息も、マスクの中だとすぐに戻ってくる。

憂鬱に膨らんだこの思いも、花火のように打ち上げてしまいたい。恋人と花火大会に行く、いつもだったらありふれた夏の思い出は今年も作れなさそうだ。彼との関係も、可もなく不可もなくの、そこそこってやつを続けてしまっている。

とはいえ、このもろもろな不都合な現実にも、ある程度慣れてきたのが本音だ。正直、毎日更新される良くないニュースに一挙一動できなくなってきた。人間きっとこうやって何にでも麻痺して、いずれ慣れてしまうんだろうな。そう思うとちょっと怖い。

オリンピック選手を応援するたびに、私自身が純度の高い感情をもらった

それでも今年の夏は、刺激的だった。待ち焦がれた祭典、オリンピック。賛否両論あったが、それでもスポーツに真摯に向き合ってきた選手のまっすぐさに心を動かされたのは私だけではないはずだ。

「頑張れ」とテレビの前で応援するたびに、私自身が純度の高いキラキラした感情をもらった気がした。こんなに素直に誰かを応援したいと強く思ったのはいつぶりだろうか。感情の高ぶりは、胸を熱くし、自分にパワーをくれる。

「私もなんか、もっと頑張りたいな」。あるオリンピックの試合中継を彼と車の中で見ているときに、私の口からポツリと出た言葉を彼が捕まえた。

「十分頑張ってるじゃん」と言って、彼は私の頭を撫でてくれた。私は分岐点に立っていた。

前へ前へと突っ走ってきた私は、頑張ってないと息をしてる気がしない

正直今のままの自分を私は褒めることができなかった。それでも、優しくそして、現状維持で満足な彼は、頑張らない私も褒めて甘やかしてくれた。高校時代までは何事にも前へ前へと突っ走ってきた性格をしていた私には、今の状態がぬるま湯だった。

めまぐるしい自分の性格に少し疲れたとき、その彼から与えられる無条件の甘さにひれ伏し、突っ込んだ足を心地良く掴まれるようなぬるま湯の居心地の良さに翻弄された。それでも少しずつ、心の奥の方から昔の私が叫んでいる声が聞こえてきた。「それでいいの?」。

頑張ってないと息をしてる気がしない。そんな自分の大変そうな性格に頭を抱えたこともあった。特に多忙で身体を壊したときは周りにも心配をかけた。

向上心という気持ちは魔物だと思う。昔は誰しも同じくらい持っていると思っていた。歳をとるたびに周りの環境が変わるたびに、現実は違った。頑張らなくても自分を認められて生きている人はいるし、誰かに甘やかされてもそれを普通の顔で生きている人もいる。

その中でなんで私ってそんなに頑張っちゃうんだろう。そう思って泣きたいときもあった。

そんな私に「何かを頑張るってすごい」を改めて思い出させてくれたのが、オリンピックだった。たった1点、たった1秒をひたむきに追い求め、その結果に全ての感情を司られる。私にはやっぱり魅力的で刺激的だった。

私はやっぱり前へ、そして上に行きたい欲望を持っているのだと感じた

自分の努力が圧倒的に評価、批評される機会。その上、結果は必ずしも努力に比例するものとは約束されない。それはとても辛く厳しいものだといえる。

それでも辛さを乗り越えた先に待つ、喜び、感動は計り知れないもので、一度味わってしまったら追い求めずにはいられない魔物。私はどんな世界に踏み出すときも、踏み出してからも、やっぱり前へ、そして上に行きたい欲望を持っているのだと感じた。

「ありがとう」と、頭を撫でてくれた彼に私は微笑んだ。私は優しくしてくれる彼が好き。それでも、彼の向上心のあまりないところはきっとそんなに好きじゃない。

それに気づいたらちょっと寂しくて、そして相変わらず恋愛は難しいと思った。誰かを好きでいるには、ある程度の尊敬の気持ちはいるんだと感じた。

今年の夏は、自分を文字通り見つめ直した気がする。いつもの夏より閉鎖的なこの夏に、本当の自分にまた出会えた気がした。