気が付いたら、梅雨の時期が終わり、夏のゲリラ豪雨の時期も終わろうとしている。次は台風が次々と例年の如くやってくるのだろうか?雨が降る日は多いのだろうか?
好きな人と『相合傘』ができますように。私は鞄に折り畳み傘を入れる」というエッセイを書いてから数ヶ月経った。
書いたのは4月。
エッセイを書いたあと、私は相合傘を数秒だけした。“好きな人”ではないが、数秒だけした。
相合傘に入らないかもしれないが、私にとっては相合傘だ。

ずぶ濡れの先輩と傘をさしてあげたい私、ちょっぴり頑固者同士の戦い

雨予報のとある日、予報通り雨は降っていた。  
仕事場に向かおうとすると、道端で先輩と鉢合わせた。傘をさすか悩むレベルの雨ではなく、傘はさした方が良い雨だった。
私は傘をさす。先輩は傘をさしていなかった。しかし、先輩は雨で濡れた眼鏡をタオルで拭いていた。見た限り、傘は持っていないようだった。
「濡れちゃう!」
思わず自分のピンクの傘を先輩にさしてあげる私。思わずだった。さしてあげないと、と思ったのだ。反射的に。
「いつもこのくらいの雨だったらさしていないから大丈夫だよ」
先輩はそう言ってきた。……いや、でも眼鏡拭いてるじゃん!と思う私。
困り顔をしながら、私は、
「風邪引いちゃいますよ!」
と言った。先輩は、
「別に風邪引いても良いよ」
とのこと。瞬時に私は、
「いや、良くない!」
強めに言った。でも曲げない先輩。
ちょっぴり頑固者、そんな2人のやり取りの末、私は負けて傘を自分にだけさした。
今度同じ場面に遭遇したら今度こそ負けない!っと思いながら。
少しムキになる私は、最終的にどこか捻くれた子どものようだった。心の中の私がクスッと笑う。

理想のシチュエーションから離れているけど、実はどうでも良いのかも

これは「好きな人と相合傘をしたい」という願望を書いたエッセイを送信した直後の出来事。
“好きな人”ではないが、タイミングが良かった。
「好きな人と『相合傘』ができますように。私は鞄に折り畳み傘を入れる」、僅か数秒間の相合傘は、折り畳み傘ではなく長傘。
かなり降る雨の予報なのに、相手は傘を持っていない。近くのコンビニで買うことなく手に傘はない。このようなことを誰が予想するか。いや、しないだろう。条件なんて簡単に覆される。
物事には必然と偶然があるが、起こってみないとわからない出来事が多々ある。
私の理想とする、私に入れてもらうというシチュエーションから大分離れている。シチュエーションなんて実はどうでも良いのかもしれない。

最近知ったが、私の周りには傘をさすことが嫌いな人、めんどくさいと思ってる人が数人いる。
それもあり、相合傘をした人はここ数ヶ月で数人いる。どれも私が少しさしてあげたパターンだ。

相合傘は別に好きな人じゃなくて良い。憧れとは違った思いが私の中に

確かに傘をさすことはめんどくさい。手も塞がってしまう。特に長傘は荷物だ。折り畳み傘は安心だが、ほんの少し嵩張る荷物だ。
しかし、やはり自分にとって大切な人ほど濡れて風邪は引いてほしくない。自分も濡れて風邪は引きたくない。
だから、ある程度降ったら私は必ず傘をさす。そして、自分の周りのお世話になってる人が傘をさしていなかったら、傘をさしてあげる。非常に自分勝手だと言われそうだが、さしたくなる。それが相合傘になってしまっても。
「相合傘は私の憧れだ」とエッセイで述べたが、憧れとはまた違った思いが私の中に生まれている気がする。
それが何なのか、言葉にすることは難しいが。

「相合傘をするのは別に好きな人じゃなくて良いんだ」
そう思えた私の中の思い出。相手によるかもしれない。良い思い出なら増えるに越したことはない。相合傘の良い思い出が増えれば良いなと私は思う。

雨が降ってるのに傘をささないと、私の一声がとぶ。
「濡れちゃう!」
そして自分の傘を相手にさす。