母の左手から指輪がなくなったのはいつだろう。
優しくて大きな左手の薬指に、指輪が光っていた最後の記憶は私が小学生の頃だ。
当時、家で父と母の2人が顔を合わせたら、その2人の眼差しの冷たさに私の体は硬直して、会話のない静かな戦争の中にいるのが常だった。
小さかった私は、母がしている左手の薬指の指輪を見て、父と母は本当は愛し合っているのだと自分に言い聞かせて、いつか仲直りをするだろうと希望を持っていた。
たまにしか帰ってこない父の手を見る機会はなかったから、父が指輪をしてたかはわからない。
実は不倫関係だった母の薬指の指輪は、何て呼んだらいいのだろう
私が大人になってから、2人は不倫関係であったことがわかった。
だから母の指輪は結婚指輪ではなかったし、話を聞くと婚約できる状況でもなかったから婚約指輪でもない。
じゃあ、あの指輪は何て呼んだらいいのだろう?
結婚したかった指輪。
真実の愛の指輪。
不倫の指輪。
たまに不倫という言葉に飲み込まれそうになる。
静まった部屋に一人でいると、まるで暗い大きな渦に飲み込まれそうになって辛くなるのだ。
スマホで検索ページやSNSのトップページを開くと、不倫騒動の文字が嫌でも目に入ってくる。
それらを見ないという選択をする間も与えてもらえない。
それを目にするたびに、「不倫で生まれてきた自分に生きる価値なんてあるの」という疑問が心の中で沸いてしまう。
もう割り切っているのでその感情は無意識に近くて、心の中を占める割合の0.1%にもならないけど、ゼロなことはない。
それがここ数年、1年の半分以上は起こっているように感じる。これからもそれが積み重なっていくのだろう。
両親を人間として好きなのに、社会が私の両親へ対する見方を変える
両親がこんな風じゃなかったらもっと楽に生きられたのに、と、恨むこともある。
私は、父と母のことが1人の人間として好きだ。
でも、社会の目が私の両親へ対する見方を変える。
本当はもっと、他人の干渉のない、なにもないところで2人を見たいのに。
父と母が「お父さん」と「お母さん」になる前の男と女だったころ、すでに社会では悪とされる関係にあっただだろうけど、きっと2人は未来に希望を持って笑顔で会話をしていた。
彼が彼女に指輪を渡したとき、ふたりの心の中は何色だったのだろう。どんな温度で、どんな感触だったのかな。
そこから月日が流れたけど、お父さんとお母さんは、人生の半分以上の時間を、私よりも深く暗い渦の中で生き続けていたのだろうか。
だから、目も合わせず、笑顔もなくなってしまったの?
2人の気持ち以外に、いったいどれほどの社会からの目に見えぬ圧力や、メディアが発する粗暴な声が、2人の未来に影響を与えたのだろう。
指輪をしてお父さんの帰りを待ち続けていたお母さんはどんな気持ちだったのかな。
その指輪を自分の手で外したときは?
お父さんはそれに気づいたのだろうか。
あれから20年、2人の姿に指輪はないけれど、愛はあるのかも
あのころから20年が経ち、今年母は70歳になり、父は75歳になった。
相変わらず別居したままだし、たまに会っても笑いあうような会話はない。
けど、1人で暮らす母が階段から転げ落ちて頭を打ったとき、一番に電話をして、その傷の手当てをしたのは父だった。
その後も隣町に住む父が、毎回送り迎えをして母を病院に連れていっている。
これが紛れもない今の2人の男女の姿で、その手に指輪はないけれど、愛があるのかもしれない。