長雨が続く今日この頃、少しずつ風が冷たくなっているような気がする。ただ、明日からの天気図は典型的な猛暑の形らしい。今見えない太陽に少しずつ体内の水分を奪われていく日々が、また始まるようだ。
そんな鬱陶しい蒸し暑さに悩まされていた時に見つけた「エッセイ募集」の文字。ドクンと心を打つ、言の葉の並びだった。元々文章を書くことが好きだった私は、久しぶりにときめいた気持ちを抑えきれず、すぐさまその文字をクリックし、今に至る。
ただ、「テーマ『今年の夏は』」と言われても、どこにも行かなかった、いや、このコロナ禍でどこにも行けなかった私が何を書くのか。戸惑う一方で、ふと思い返すとこの夏、自分は一歩前進したのではないかと改めて感じた。

就職活動の焦りからか「インターンどうしよう」と思い始める

現在大学三年生の私には、とうとうこの時期が来てしまった。インターンシップの夏だ。
去年までは、「インターンなんか別にどうでもええやろ」「就活やるなら、自分の個性だけで勝負したる」とアホみたいに強い気持ちで胸を張っていたにも関わらず、いざ三年生になってみると、周りの環境や来年から始まる就職活動の焦りからか、「インターンどうしよう」と思い始めるようになった。
これが大人になっていくということなのかもしれないが、それを実感してしまった途端に、どこか悲しく感じた。ただ、自分の出来る範囲内でやりたいと思ったことなら、一度やってみないと気が済まないのが私の性格。とにかくインターンシップに取り組んでみることにした。

第一志望のインターンシップには落ちた。でも大収穫もあった

始めてみて分かった。「エントリーシートってめっちゃ難しいやん」ということを。なかなか進まない指先と、回る時計の針は反比例だ。取り組めば取り組むほど指は止まっていくのに、一時間、二時間と時計の針は進んでいく。
それでもやるしかない。決められた時間でやり遂げる、それが私の今の使命だから。いや、これは自分で決めた道だから。こうして何とかやり遂げたエントリーシート。無事に書類選考が通り、参加できたものもあった。その一方で、第一志望の企業のインターンシップには参加できなかった。
きっと油断したのだろう。面接で落ちた。喋るのは得意なはずだ。ただ、自分は話が長いことを完全に忘れていた。焦りと緊張で、全く話をまとめられなかった。でもものは考えようだ。今落ちていてよかった。面接で落ちたなら、面接対策をすればいい。
今の自分に必要なことが分かったのなら、それだけで大収穫じゃないか。何でもやるぞ。何でもやってやる。やってみろ、自分の心の赴くままに。

不安になった時は、家族や周りの友人を振り返ってもいい

正直、別になりたいものなんてない。いや、それも、自分自身に正直になっていないだけだということも分かっているのだが、なりたいものが欲しいし、なりたい姿を見つけたい。だから、なりたい姿を探す長い旅を始めたという事実だけで、今年の夏は十分なはずだ。そう思っても、「本当に自分がなりたいと思う姿を見つけられるのか」と、時折不安になる。
ないものねだり。人間はいつだってないものねだり。そんなこと分かっていたって、やっぱりないものをねだろうとする。そして欲望に負ける。結果、小さな罪を重ねる。いや、欲望に負けることがあったっていいのかもしれない。法を犯していないのならば。
違う、そんなのどうだっていい。私達は、生きているだけで無限大の可能性を持っている。
パラリンピックの開会式が、この夏最後に私たちの道標をそう教えてくれた。それに不安になった時、きっと振り返ってもいい。自分の家族を。周りの友人を。

まだ外出は我慢。私にとって大事なのは家族や友人たちだから

私は、このコロナ禍が、自分にとって何が大切で、そして自分の大切な人やもののために今何をするべきなのか、改めて考えるきっかけをくれたと思っている。このコロナ禍の中で生きる今の私たちに求められていることは、ただこれだけだ。
考え直すと、思っているより私は恵まれているし、愛されているのかもしれない。自惚かもしれないけれど、私はいつだって一人でなんか生きていない。やっぱり自分は贅沢だ。
そう、私にとって大事なのは、家族だから、そして友人たちだから。やっぱりまだ外出は我慢。それぐらいへっちゃらだ。大切なものをそれで守れるのなら、楽勝だ。
インターンシップによって自分の現在地に気付かされた今年の夏。家族と共に、健康で、笑って過ごせた今年の夏。生きていることを、そして周りに生かされていることに気づいた今年の夏。これだけで十分だ。幸せだった。
それでも、できることなら、どこか遠くへ旅行に行きたかった。こうして、またないものねだりを繰り返す。別にいい。認めるしかない。それが私だから。