1年前、浅い呼吸しかできなくて、毎日できない自分を遠くから見ているような感覚だった頃。『20卒、仕事を辞めた。こんなはずじゃなかった。』というエッセイを書きました。
新卒で、コロナ禍で、早期退職者。今でも同じ状況に立たされたら落ち込みそうな爆弾を抱えて、まだ半年も住んでいないワンルームで泣いていたあの頃。

泣いていたあの頃から1年。私はとある会社で毎日働いている

「頑張る」が当たり前だったから、何もしない日々は悪いことをしているようで、縋るように書いたのを覚えています。吐き出すように書き出してしまったエッセイは拙く、納得のいくものではありませんでした。

それでも、温かいメッセージと共にツイートしてくださった方、わざわざDMでくださったメッセージなど、編集部の皆様をはじめ世界のどこかで自分の文章を読んでくれた人たちの温かい気持ちに触れることができました。本当にありがとうございました。

さて、あの頃から1年。私は今、とある会社で働いています。何も成し遂げられなかった前職の経験を評価してくださった会社で、毎日働くことができています。

初出勤の前日は、まったく眠れませんでした。
上司が厳しい人だったらどうしよう。提示された条件がまるで嘘だったらどうしよう。また、頑張れなかったらどうしよう。

HPの社員紹介を全て読み、面倒見の良さそうな人の名前を覚えました。万が一違和感があれば、壊れる前に逃げなさいと未来の自分へメッセージを書きました。毎日の通勤すら不安で、1週間前から予定の電車に乗り慣れるようにしました。

どれもこれも昔の私には必要のなかったこと。前職での経験から、些細なことにもひどく怯えるようになり、自分を落ち着かせるためにした精一杯の準備でした。
辛い現実を乗り越えた人が言う「あの経験があったから今がある、経験して良かった」には共感できません。絶対に、経験しない人生があったならそっちが良かった。こんなにも怯えずに済んだのに、と思います。

幸い、入社してしまえば、不安の大半は杞憂に終わりましたが。

ある朝気づいた。私、真っ当な人生を歩んできた「ような」顔をしている

初日こそ緊張と不安で倒れそうだったものの、2週間もすれば社会人生活に慣れていきました。
人混みも会社も社会も怖かったけれど、人波に流され歩くことは心地良ささえありました。

そしてある朝、気づいたのです。あれ、私、「真っ当な人生を歩んできました」みたいな顔をして乗り換えとかしちゃってるな、ということに。
性格が捻じ曲がるほど自分を責めたのに、働く人があんなにも眩しくて憎かったのに、たった2週間で人波をグングン進むOLになっている。

そう自覚したとき、目の前で立ち寝しているサラリーマンも、鮮やかなコートのあのお姉さんも、もしかしたら同じなのかもしれないと思いました。
この人達も人生のどこかで、心を病んだかもしれないし、夢を絶たれたかもしれないし、人生をやり直したかもしれない。一度くらいは、社会の潮流から外れかけたことがあるんじゃないかしら。
そう思うと、1度失敗したくらいじゃ社会から外れることはできないんだなと「社会復帰」を果たしたつもりでいた私は思いました。

あの頃の自分へ、安心して休んでください。いつか必ず風が吹くから

1年経って、あの頃の自分に言葉をかけるなら。
「頑張れ」とも「大丈夫」とも言いたくない、かといって「働きたくないならそれでいいじゃん」なんて、無責任過ぎて信用してくれないでしょう。

一つだけ伝えるなら、たくさん休んでたくさん眠ってほしいけど、ポジティブな風が吹いた時に捉えられるよう、準備運動はしていてほしいかな。その場で足踏みするだけでいい、いざと言う時に怯えて塞ぎ込んでしまわないように。

思い描いていたキャリアへの執着を捨てて、気の向くままに行動してみる時間を大切にしてほしいです。過去の自分が眩しいのも、未来が今より地獄だったらと怯えるのも、全部分からないことが怖いだけだから。心の安全を守れる範囲で、「大丈夫」な世界を広げていってね。いつか、必ず風が吹くから。