女の子に戻りたい。
あなたならどんな時にそう思うだろうか?
私は生理痛の時だ。
毎月律儀にやってくる下腹部の痛みと腰の重さ。鎮痛剤が効くまでの間痛みに堪えるかたわら、ぼんやりとそう思っている。

初潮を迎えた時、お祝いの赤飯は恥ずかしく、父の行動に殺意が湧いた

小学5年生の夏休みに初潮があった。
初めての生理の痛みは凄まじく、10日間くらい寝込んだと思う。
しかも私は、生理というのはおしっこみたいに一回流れ出てしまえば終わりなんだと思っていた。しかしよくよく母に聞いてみると、期間中はずっと流れ出ているというではないか。
なんて不具合の多いシステムなんだと思った。
母がお祝いで炊いたお赤飯を家族で食べるのも気恥ずかしかったし、さらに最悪な気分を決定づけたのは初潮後すぐに訪れた盆の墓参り。
父が親戚の前で「大人になったんだよな」とニヤニヤしながらバラした時には殺意が湧いた。

そんなこんなで初潮の思い出は最悪だが、初潮がハッピーだった女性はそう多くはないんじゃないだろうか。
なぜあの部分から出血が?と思うし、痛いし怖いし失敗するし、何より大人になったとか子供が産める体になったとかよく分からないけど、とりあえず恥ずかしい。
それでもこの頃は、痛みだけに集中していればよかったのだと思う。
母が用意してくれた鎮痛剤、ホッカイロ、暖かい紅茶。毛布にくるまりただ痛みが和らぐのを待っていれば、それ以外のことは滞りなく進んでいった。
「女の子はお腹冷やしちゃダメだよ」
母はそう言って、泣いて痛がる私を心底心配してくれていた。

主婦、女、社会人。痛みを抱えながら仮面を複数被らなくてはならない

しかし現在、私が痛みで停止している間は全てが停止している。もう誰も私の代わりに全てを整えてくれる人間はいないのだ。
そして私は主婦であり、社会人であり、女だ。
痛みを抱えながら違う仮面を被らなくてはならない。
今後さらに母という新たな仮面も加わるのだろうか。そんなに被りきれるのか……?

鎮痛剤。これも私のなかではネックだ。
小学生の頃から手放せないし、頭痛持ちなので月に7、8回は飲むだろう。
鎮痛剤依存の記事を見るたび怖くなる。
でも鎮痛剤がなければ、生理中はまともに生活が送れないのだ。
さらに最近では子宮内膜症の疑いもでてきた。
何が嫌かって、産婦人科のあの椅子が嫌だ。
ウィーンと両足開いてカーテンの向こうの先生を待ち、器具を突っ込まれたりする。
そりゃ検査だ治療だ、仕方ないと思う。
けど、あの心許ない感じはなかなか慣れない。

痛みが与える束の間の休息。ご自愛して何者でもない少女に戻る

私は社会で認められたい。
だから仕事の手を抜きたくない。今回のコロナで多大な被害を受けてしまった我が家だけど、だからこそ私が稼いでやる安心しろって夫に言いたい。
女としてもキレイだって思いたい。
痛みでまともに準備できなくて、すっぴんのボサボサ髪でそのまま家を出たい時もあるけど、私は私を好きでいたいから、できる範囲でキレイにしたい。
しかしそれは私自身の願いだったはずなのに、痛みで朦朧としている時、なぜ私にはこんなに足かせがついているんだろうと思う。
結局は私自身の願いであると同時に、世間で作り上げられた"女のあるべき姿"なんだろう。
そんな時、女の子に戻りたいなあと思うのだ。
だから私は自分で自分の中の少女を甘やかそうと思う。
最近とても好きな言葉がある。
「ご自愛ください」だ。
痛みが与える束の間の休息。私はご自愛して自分を主婦でも社会人でも女でもない少女に戻す。暖めるだとかしていることはいつもと変わらないのだが、自分の中の少女を私自身がかいがいしく世話をしていると思うと、どこか気持ちが緩む。
自分のことだけに集中する時があったっていいじゃないか。

世の女性のみなさん、いくつも仮面を取っ替え引っ替えお忙しいでしょう。
だけど時には自分のなかの女の子を甘やかしてあげてくださいね。
どうぞ、ご自愛ください。