私には憧れていた友達がいた。
彼女とは大学で出会い、卒業してからより一層仲良くなった。
整った容姿、気取らないカジュアルなスタイル、自信のある風貌、コミュニケーション能力の高さ、器用な生き方。
全てが羨ましかった。
同性も異性も惹きつける魅力を持つ彼女は、女であることを使いこなすことも得意だった。
「彼女みたいになりたい」と思った。

彼女と一緒にいたら、自分も愛されるんじゃないかと思っていた

私は中学、高校までは地方の田舎に住んでいて、田舎特有の感覚や上下関係に馴染めず、学校に行けない時期もあった。
私は目立ちたがり屋だったが、目立とうとする人は一斉に叩くような風潮が蔓延っているような環境。
あまり人と関わるのも上手くなく、すぐに敵を作った。
閉鎖的な空間で、私は人に期待することを諦めてきた。でも心の底では人を好きになりたくて、好きになって欲しくて、いつも寂しかった。

自己肯定感が低いまま大人になってしまった私は、彼女と一緒にいたら、自分も人に愛される人間になれるんじゃないかと思った。
彼女に誘われれば、電車で片道2時間の距離でも会いに行って朝まで飲み明かした。彼女が住んでいた地域付近に引っ越して、同じような生活を送ろうとしていた。

でもどれだけ真似をしても彼女に近づけることはなく、むしろ自分を憎んでしまう。
彼女の友達と関わっていると、自分と彼女の差が浮き彫りになって見えた。
人間関係を築くことが下手な私が、人と適度な距離を保てる訳がなかった。
求められれば応えてしまうし、すぐに依存気味になってしまう。
そんな自分にだんだん嫌気が差した。

なりたかった彼女に抱くようになった疑問。距離を置いてみることに…

「彼女みたいになりたい」
そう思ってからしばらく経って、だんだんと彼女に対して疑問に思うことが増えた。
そのほとんどが男絡みのことで、今までは笑って聞けていたことも徐々に笑えなくなってきていた。

そんな中でコロナ禍になった。
自宅にいることが増え、人と会うことが減った。
ふと「1人でも生きられるようになろう」と思い始めてからは、自分を好きになる努力をしてきた。

そんなとき、彼女のSNSを見ると自己肯定感が異常に下がってしまうことに気づいた。
何かあったときに男に助けてもらっている様子や、SNSでたくさん反応をもらっている姿を見て、「なんで私は」と思ってしまっていた。
その思いから解放されたくて、彼女のSNSを全てミュートにして、なるべく距離を置いた。
自分に少し自信がついた頃、彼女について考えてみた。

環境や価値観で友達も変わる。彼女の本当の姿に気付くことができた

もしかしたら彼女も承認欲求が強いのかもしれない。
人に愛されていると思っていたけど、ただ人を利用しているだけかもしれない。
私も都合よく誘われていただけかもしれない。
私と一緒かもしれない。
そう思ったら「なんで私は彼女みたいになれないんだ」という呪縛が一気になくなった。

環境や価値観が変われば友達も変わる。
誰かに憧れたとしても、必ずしもその人を目指さなくていい。
これから私は、自分で自分の幸せを探そうと誓った。