「とっても綺麗な手してるでしょう。昔はよく、白魚のような指だって言われたんだよ」
と、祖母は自慢げに語る。
80を過ぎても、背筋がピンとしていて、少女のようなおばあちゃん
たしかに、白く細長い指、爪まで手入れが行き届いていて、ときにはマニキュアなんか塗っている。薄いピンクに染めた指先は、
「若い子はいいねぇ、こんなの塗らなくても、指先が生き生きしている。だんだん歳をとると血色がね。だから少しでも、若づくり」
そう照れくさそうに言う。それでも、手のモデルになれそうだ。
そのうえ、とっくに80を過ぎたというのに、背筋がピンとしている。化粧台に向かう祖母の姿は、なんだか少女のようだった。
「おばあちゃんと言うのはよして。腰が曲がってからにして。まだ元気なんだから」
祖母が想像する「おばあちゃん」は、昔話に出てきそうな、腰の曲がった老婆で、自分は「ババちゃん」だと言い張っていた。
趣味は、おそうじ、洗濯、庭の手入れ。そんな、綺麗好きなおばあちゃんだった。ちなみに海のちかくで育ったおばあちゃんは、お魚がだいすき。
最近は、すこしその手、その背中が小さくなった。
9ヶ月ぶりにおばあちゃんと再会。変わり果てた姿に、涙があふれた
おばあちゃんは、病気をした。一日の半分以上をベッドの上で過ごす。そうなったのは、わたしがここを出てすぐのことだった。わたしがその事実を知るのは随分先のことになるのだけど、祖母は約半年間入院し、闘病生活を送った。
わたしは海外に拠点をおいていたこともあり、彼女との再会は、実に9ヶ月ぶり。変わり果てたおばあちゃんの姿に、涙が溢れた。記憶の中にあるおばあちゃん、ババちゃんはどこか遠くの存在になってしまって、庭をいじったり、キッチンに立ったり、ぜんぶ代わりに祖父が担う。車椅子で移動し、言葉も思うように出すことが難しかった。
それでも、おばあちゃんは久しぶりに会う孫、わたしのことを覚えていてくれた。名前を呼んでくれる、それだけで、とてもしあわせを感じた。
それから2ヶ月弱くらいを、人生でいちばんおばあちゃんといっしょに過ごした。わたしはすべてを、おばあちゃんのために生きた。そんな自信がある。
というか、ただただ、おばあちゃんと生きることがしあわせで、一日一日おばあちゃんの些細な愛に、家族みんなが包み込まれていた。
忘れられないあの夜。手をつないだおばあちゃんの手は温かかった
おばあちゃんは、もういない。
亡くなる4日前の夜、わたしはおばあちゃんと手を繋いで寝た。おばあちゃんの手は、温かくて、すべすべしていて…… わたしとおばあちゃんは、手と手で会話した。なぜかわたしは、涙でいっぱいになった。
それが最期だった。
翌日祖母は入院し、帰らぬ人となった。まんまるお月さまの、綺麗な夜だった。
あの夜、おばあちゃんと手を繋いで、これまでのありがとうや、ごめんねの気持ちを伝えられた。そんな気がしている。
一年以上経ったいまも、まだ悲しみが拭いきれないけれど、夜、夢に出てくるおばあちゃんは、いつも微笑んでいる。
だから、これからは笑顔で、わたししあわせだよって手を挙げて伝えられるようにするね。
おばあちゃん、わたしはあの夜を忘れないよ。たくさんの愛を、ありがとう。