私には、まじでとんでもねえおばあちゃんがいる。
アラウンド傘寿(こんな言葉があるのかは知らないけどとりあえず80歳くらい)にして、8cmのピンヒール。毛皮のコートにエルメスのバッグ。
1ヶ月に1度の白髪染めと、2ヶ月に1度のパーマカット。年頃の私がついついサボってプリンになった頭が恥ずかしくなるほど、美容への気遣いがとにかく完璧だ。
「おばあちゃん」ではなく「マミー」と呼ばせた祖母
「おばあちゃん」と聞いて、世間が浮かべる姿とは、おそらく真逆だと思う。多くの人は、『ドラえもん』に出てくるのび太のおばあちゃんみたいな像を浮かべるんじゃないだろうか。
私のおばあちゃんは、おばあちゃんと呼ばれることすら嫌がった。
当時わずか3歳の私に対して、「マミー(フランス語でおばあちゃんの意。フランス語ならいいんかい!)」と呼ばせるんだから、洗脳もいいとこだ。
マミーは世間でいう「おばあちゃん」とは真逆だけれど、私はマミーが大好きだ。マミーも私をはちゃめちゃに可愛がっている。間違いなく、7人いる孫ランキングでは圧倒的王者だ。
カフェのはしごをして、「パピー」の話を何度も聞いた
マミーとのデートは、カフェのはしご。いつも私が紅茶のおいしいカフェを探しては、3軒はしごすることもざらにある。
東京大空襲を経験しているマミーは、燃え盛る炎のなか、妹の手を引いて防空壕へ逃げたことを何度も話してくれた。いつも笑顔いっぱいのマミーも、その話をするときだけは涙を浮かべることが多かった。
その時もしも、があればマミーも私もここにはいない。
当たり前のことであるのに、いざ身近な人から話を聞くと心がずっしりと重くなる。マミーのもらい泣き、にしては言い訳がつかない量の涙を私はよくこぼした。
マミーは自分が泣くのはいいのに、私が泣くのはすごく悲しいらしい。
いつも慌てて「ごめんね」と言って、話題を変えてくれる。
話題を変えると言ってもマミーはいつもワンパターンで、パピー(おじいちゃん)との出会いの話をする。それがたまらなく可愛いのだ。
「パピーはマミーに、一目惚れだったの。マミーは最初乗り気じゃなかったのに、毎日家に来るもんだから。出かけてやってもいいかと思って仕方なく行ったのよ」
友人の恋の馴れ初めなんて、一度聞いたらお腹いっぱいだが、マミーの話だけは何度でも聞いていたかった。しかし、
「結婚してから、一度クラブのママに浮気されたことがあるのよ。その時マミー、ハサミ持ってチョン切ろうとしたけど失敗しちゃったの。まだ後悔してるわ」
一瞬ほっこりしていたが、若い頃もやっぱりとんでもねえマミーだった。
負けないくらいとんでもねえ女になるよ。だって私はあなたの孫なので
マミーはいつも私に、「こんな女性になってほしい」と幸せそうに語ることがよくあった。どうやら、いわゆる「レディ」になって欲しいらしい。
テーブルマナー、綺麗な座り方や立ち姿はマナー講師のような口ぶりで全てマミーが教えてくれた。
パピーのパピーをチョン切ろうとするくらい気の強いマミーの血を母経由で受け継いだ私だが、それに応えようと精一杯努力した。
そんな日々が続いたが、
マミーは、数年後、病の末亡くなった。
マミーは病床でも、常にシルクのパジャマを着て、ダイヤの指輪をきらきらさせていた。
日に日に痩せて指輪が抜けてしまうと、絆創膏を指に貼ってカバーしていた。
仕事の合間を縫って毎日お見舞いにいくと、カフェをはしごした時と変わらない笑顔でいつも迎えてくれるマミーが愛しくて仕方なかった。
亡くなってから、マミーと同じ血が流れていることを最近はひしひしと感じる。
おしゃれは日に日に大好きになっていくし、彼氏に浮気されチョン切ろうとした瞬間、自分でもはっとしてしまった。
ごめんねマミー。
私、マミーが望むレディにはなれません。
負けないくらいとんでもねえ女になるよ。だって私はあなたの孫なので。