大学一年生の春、私は黒髪を明るい栗色に染め、駅ビルのマネキンを見習ったトレンチコートとワンピースを身に纏い、ハイヒールの音を響かせながら意気揚々と学校に通い始めた。田舎育ちがばれないよう、洗練された都会の人達にハブられないように精一杯背伸びして新生活へ飛び込んだけれど、すらりと細くて綺麗な同級生達が眩しくて、しばらく誰とも話すことができなかった。

「サプリメント無しで食べたら即デブ」と言う思考がこびりついていた

ぱっとしない自分を変えたいと思いながら街を歩いていた時、あるダイエットサプリメントが目に留まった。そのまま吸い込まれるようにお店に入り、綺麗なお姉さんから丁寧な説明を聞いているうちにこれを飲めば一気に痩せてあの綺麗な同級生達と肩を並べる日が来るような気がして、気付けばお試しコースに入会していた。

食前に水で2錠飲むだけで簡単に痩せるというサプリメントは、すぐに私の日常生活へ溶け込んだ。昼は学食で食べる直前に飲み、朝と夜は実家で両親と一緒に食事するので、直前にトイレで隠れて飲むようになった。なんとなく、両親の前で飲むには罪悪感があった。

お試しでちょっと買っただけ。効果がなければすぐやめればいい。
そう思って気楽に始めたサプリメント生活だったが、飲み始めてひと月が過ぎる頃には(サプリメント無しで少しでも食べたら即デブになる)という思考が頭にべったりとこびりついていた。食事以外のタイミングでも、家族や友人とちょっとしたお菓子を食べる際もポケットに忍ばせたサプリメントを手のひらに隠し持ち、鼻を触るフリをして唾液で飲んでいた。

そこまで徹底していたにも関わらず、体重はあまり変わらなかった。食生活が悪いとサプリメントの効果を打ち消してしまうのかと不安になり、サラダだけ食べる生活に切り替えたら徐々に体が怠くなり、髪や爪が脆くなり、気分が沈み食欲も失せ、笑うことが少なくなっていた。

なんとなく頭の片隅では(このままではいけない)と思っていたが、やめた途端に太ってしまうかもしれない恐怖心が頭を占領してしまい、やめられなかった。もうダイエットサプリメント無しでは全く飲食できない状態になり、完全なダイエットサプリメント依存症になっていた。

「生きることは、食べること」優しく囁く祖母の言葉

ダイエットサプリメントを飲み始めてから約1年が経った頃、祖母が胃癌で入院した。仕事が忙しい私の両親に代わり、幼い頃から我が家に毎晩美味しいごはんを届けてくれた大好きな祖母は、みるみる痩せこけてあっという間にホスピスへ移動した。

おばあちゃんのハンバーグと、筑前煮と、芋餅と、全部美味しくて大好きだったよ。また食べたいよ。作ってよ。元気になってよ。

ほぼ骨と皮しかない冷たい手を握りしめ、励ましにもならないただのわがままを狂ったように叫ぶ私に、祖母は優しく微笑みながら囁いてくれた。

「生きることは、食べること」

そうだった。祖母はいつもそう言って我が家のテーブルに温かくていい匂いのする夕飯を広げてくれた。

部活動の試合に負けて瞼が腫れ上がるほど泣いた日も、受験が怖くて何もかも投げ出したくなった日も、人生で初めて出来た恋人にあっけなくフラれた日も、(こんなにつらい気分なんだから食欲なんてあるわけないじゃん)とぶつくさ悪態をついても祖母は必ず「生きることは、食べることよ!」と言ってどんどん料理を出してきてくれた。
目の前にご馳走が並べば、食べない選択肢なんてすぐ消えて無我夢中で食べ進めた。美味しい料理でおなかが膨れて眠くなる頃には、さっきまでのつらい気持ちはいつも小さく萎んでいた。

その一言で、私は依存を断ち切ることができた

ホスピスで手を握った翌日に祖母が旅立ったことを、母からのLINEで知った。講義中だったが内容なんて頭に入らず、そのまま静かに教室をでて私が向かった先は、学食コーナーの大きなゴミ箱だった。
化粧ポーチと上着のポケットからダイエットサプリメントを掻き出し、全て捨てた。

新生活への不安と容姿の劣等感で弱った私の心に、ダイエットサプリメントはするりと入り込んでみるみる私を侵食していった。

もう自分では抗えないほど侵食されたと思っていたけれど、おばあちゃんが長年手塩にかけて作ってくれた私の心身には、まだ復活できる力が残っていた。もう呼吸すら困難なほど弱った時にまで、おばあちゃんは私に食べることの大切さを伝えてくれた。その一言で、私は依存を断ち切ることができた。

大好きなおばあちゃん。
ずっと昔から今まで、いつも美味しいごはんをありがとう。
もしかして、私のダイエットサプリメント依存症に気づいていた?
ごめんね。
ずっと教えてくれていた大切なこと、ちゃんと思い出したよ。

[生きることは、食べること]

もう私は大丈夫。
たくさん食べて、たくさん笑って生きていこう。