あの言葉は私のお守りだ。
その言葉を奏でると自分も、そして周りも笑顔になる。そんな魔法の言葉が存在し、知れた事それだけでとても幸せな気分になる。
私の言葉に先生は「大丈夫。ここのみんなは貴方の家族」と言った
私は小学校4年生から児童養護施設に入所している。
理由は親からすると私は悪い子で、してもないことを毎晩言われ怒られる日々。私の周りには私を信じてくれる人は誰もいなくて、大人にとっては自分が悪い子でしかなかった。そんな時親が児相へ私を連れて行きそのまま施設に入所となった。
家に比べると施設は天国だ。私自身施設生活に不満もなく楽しく過ごしてた。
小学生の頃学校に行きたくなくて学校をサボった。公園で時間を潰してたら先生が探しに来た。その日は学校に行かない代わりにひたすらプリントをした記憶がある。
その時ふと尋ねられたのだ。
「貴方はどうしてここに来たと」
私はどうせ信じてもらえないと思いながらも家で過ごした日々をぽつりぽつりと話し始めた。話をしながら涙がつたい、気がつけば先生の胸で大泣き。
「私は家族じゃないと言われた」
その言葉に先生は「大丈夫。1日暮らせば家族だよ。ここのみんなは貴方の家族よ」。
先生と出かけた時、声をかけてきたおじさんは「似た家族ね」と言った
それから幾年も過ぎた高校3年生の冬。担当職員と一緒に大学の書類を出す為に郵便局に来ていた。
私は春からここ福岡県を出て隣の県、山口県へ行くことが決まっていた。理由は大学進学。福祉の勉強をしていつか自分が育った施設に職員として戻ることが夢だった。
あとは児相の職員。自分と同じ思いをしないよう子どもを助けたかった。そんな夢を追いかけながらのある日のこと。
すごく寒い日で車から降りたら駆け足で郵便局に向かった事を覚えてる。
「貴方達、すごく似た家族ね」
知らないおじさんから急に声をかけられた。驚きもあったが、それ以上に、そんなはずない、だって私たち血の繋がりないし。そう頭によぎっていた。
「どこから来たんですか」
先生がおじさんに話しかけていた。
「あっちの行橋のほう」
「それは遠いですね。歩いて来たんですか」
「自転車で。でも疲れてしまってね。ほんとあんたたち似とる家族やなぁ」
「それはありがとうございます。寒いから気をつけてくださいね」
そう伝え離れようとするのだけど、
「あんた達、すごい幸せそうな家族よ」
そう言ってなかなか離してくれない。
知らない人にお金を渡した先生が私に言った、私にとって幸せな言葉
寒いし、知らんおじさんやし離れられそうもないため、
「先生、もう行こう」
そう言って先生の腕を取ろうとした時、先生は自分の財布から2千円取り出し、
「これで何かの足しにしてください」
と手渡した。
「ありがとう」
おじさんはそう言ってその場から立ち去って行った。
「先生、なんでお金なんか渡したと。誰かも分からん人やん」
私は先生にそう尋ねたが、先生は笑って、
「その渡したお金が巡り巡って貴方のところに幸せとして来たらそれでいいとよ。さぁ行こう」
そう言って私の手を取り歩き始めた。
胸の当たりがあったかくなるような、どきどきするような、なんとも言えないそんな嬉しさが込み上げてきて嬉しくて嬉しくてその後のことは正直覚えてない。
ただ言えること、それは私にとって幸せな言葉であったこと。その言葉に出会えたこと、それがとても嬉しかったのだ。
今では私も立派な社会人。知的障害の施設で支援員として働いている。
社会で過ごしていると理不尽なこともいっぱいある。でもその日から私も口癖のようにみんなに伝え、自分にも言い聞かせている。
「いつか巡り巡って貴方のところに戻ってくるよ。貴方の周りももっと幸せになるよ」と。