私は今年の5月末まで介護職に就いていた。
ちゃんと社会人をしていたけれど、ストレスが祟って体調を壊し、病院では『適応障害』と診断される。1年近く患って、職員や上司との関係性も少しずつ変わって施設のお客様の様子も変わっていく。
ミスが起これば必ず私が疑われ、安心できないし、生きた心地もしない
表情の乏しさと変に緊張してしまうところは、なかなか改善されないと指摘される毎日。自分でもコンプレックスとして抱えていたから、精神状態も危ぶまれていた。医者からは「仕事を続けるのは貴方にとって危ないです。できることなら、1度仕事からは離れてください」と言われていた。
診断書も出して施設長とも話した。でも納得して貰えず、「現場で1番評価が低くて、仕事が出来ていないのはお前だ」「仕事を辞めて逃げるなんて、そうはさせない」等と理不尽に罵倒されてしまった。逃げるという認識をされてしまうのは仕方がないことで、施設長の根性論でどうにかするという考え方には、正直ついていけなかった。
我慢の限界だったのが、今年に入ってからだというだけである。
何か現場でミスをすると、必ず私が疑われる。あとで別の職員がしでかしたと判明しても、ひと安心できないし、生きた心地がしないまま、仕事をするのは違うと思うようになって、退職するという結論になった。
新しい挑戦に自然と指踊る。今年の夏はひと味もふた味も違う景色
仕事を辞めて心の重荷が一気に降りた。絞られていた脳ミソから力が抜けて、やっと安心できた。
求職活動を始めるまでは、少し体調を落ち着かせるための時間を要した。この時は本当に精神状態がギリギリで、生きているのが怖くなっていた。眠れない日が続いて、冷静な判断ができない。楽しいと思えたことも退屈になってしまった。
そんな毎日が2ヶ月ほど続いたが、久しぶりにグループラインで、大学時代のゼミの先生からメッセージが届いた。
私たちの先輩が創作活動で賞を取ったとのこと。そして、その中にはエッセイに応募して掲載されたという後輩のことも書いてあった。
これを聞いた私も、エッセイは初めて書くジャンルで自信はなかったけれど、募集されているテーマを見て、応募してみた。コロナが流行り出して、ストレスのかかり方も変異型になっている中で自分の経験を元に考えをまとめてみた。
テーマは「恋愛について」――。あの時と今を比較して、仕事していた時の話を書いた。どこまで通用するかは別として、誰か一人でも共感してくれる人がいるなら、という一心だった。
指がスマホの画面を自然に踊る。昔からの感覚は案外、どんな状態でも消えないのだと初めて知った。書くのは本能的に好き。
今年の夏は色んな意味でひと味も、ふた味も違う景色。最初こそ喪失感はあった私も、少しずつ自分らしさを取り戻すことが出来た。
自分の未来のためだと、最終的な目標は視界が澄み切っている
何かキッカケがあれば、自分は自分の活かし方を思い出せるし、新しく突破口を見つけられる。これからの時代で必要とされるのは、発想力と決断力だと思う。それは仕事を辞めて何もしないより、何か自分から行動してみないと、得られない結果があるからだ。
それと同時に突破口を見つけるチャンスでもある。道がなければ創ればいいと誰かが言っていた。まさにその通りだと思う。まだまだ不安なことが多くて、悩まされる課題は多い。その中にも小さな幸せは絶対にある。
来年に向けて今年はどう過ごすか。それに加えて、今年からは家族との時間や、自分を見つめ直す夏にしたい。見つめ直した上で、目標を達成するためにニュースを観る時間を増やしたり、世間で起きていることについて盲点とされる部分を掴んで、自分の意見をまとめて次に活かしたい。
資格の勉強で出てくる専門用語もニュースで先に見聞きしていれば、その分、有利になる。勉強も捗るだろう。何のために勉強するかは資格を取るためではなく、自分のため。自分の未来のためだと最終的な目標は視界が澄み切っている。
今度こそ、失敗したくないので。