火曜日の放課後のピアノ教室までの道中に、美味しいラーメン屋さんができたらしい。
以前勤めていた職場は、物置にゴキブリが大量発生して大変だったんだって。
この前テレビでやってた、家から自転車で行ける家具屋さん。ワゴンが安くて欲しくなっちゃった。
今までの生活は、懐かしくて、どこかよそよそしい。だって私はもうそこに行くことはないのだから。

旦那から逃げることは、今まで生活してきた場所に戻れないということ

「住民票が必要だと思うので、私が代理でとってきます」
母子支援施設に入所するときに、担当の福祉職員から言われてハッとした。
私は今まで生活していた場所に行くことはできなくなったのだ。
旦那のDVにより、DVシェルターに一時保護された。そして、旦那から逃げるために母子生活施設で生活することになった。
旦那から逃げるということは、今まで生活してきた場所に戻れないということになる。
住み慣れた家と、職場、幼少期から過ごした私の実家。旦那に知られている場所は、旦那と出会う危険がある。
旦那にとって、私と娘は都合がいいお気に入りのオモチャだったと思う。
可愛らしく、ムチムチのほっぺたの娘。家事育児を任せ、好きなときに抱ける私。まるで幸せの象徴のようなそれらを彼は気に入っていたはずなのだ。オモチャを急に取り上げられた旦那は、冷静でいるはずがない。
もし、見つけ出されたとき、もしかしたら、殺されてしまうかもしれない。
そんなこと、有り得ない。でも、1%の可能性があるのだ。
今はまだ胸が痛むから、なるべく旦那のいない世界を選びたい。
私、悪いことしてないのにな。自分を守るために行動したら、帰る場所がなくなってしまった。
喪失感に苛まれながらも、娘を育てていくために前を向くしかなかった。

娘もお気に入りで、仕事上の信頼できるパートナーだった彼氏

私は娘を保育園に預けながら、職業訓練に通い資格をとることを決めた。
職業訓練にはハローワークに通うために休みが設けられている。その日に、成り行きで付き合うことになった彼氏を呼び出して食事に行った。
彼氏は元職場の上司である。
児童福祉施設に勤めていた私の主な業務は、彼の補助をすることであった。
一緒に仕事をする上で、密にコミュニケーションをとることが多く、信頼できるパートナーであった。
退職してからも一ヶ月に数回食事や娘とのお出かけに付き合ってもらっていた。娘は彼のことを気に入っており、帰路では「寂しい」と言いながら泣いてしまう。そんな娘を見ていて、彼に心を開いていった。
とはいえ、仕事のパートナーを恋人にするのは、違和感がある。この人とセックスをする想像ができない、と思いながらも3ヶ月かけて手を繋ぐことができるようになった。

やっと私の居場所を見つけた。キスを繰り返しながらぼんやり思った

ネットで検索した、リーズナブルにランチを楽しめる鯛めし屋さんへ行った。
小洒落た店で、子どもを連れては行きづらいような落ち着いた雰囲気であった。
個室に案内され、食事が配膳されるまで他愛のない会話を楽しんだ。手を繋ぐと、彼はたじろぎ目をそらした。その姿が可愛らしくて、意地悪したくなる。
「ねぇ、嫌ですか?」
顔を近づけ、ニヤニヤと笑うと彼は顔を背けた。
「そんなことしてたら、キスするよ」
「嫌でーす」
ケラケラ笑いながら、手を離す。そんなことを数回繰り返していたら、彼の掌が私の頬を包み込み、触れるだけのキスをした。
それが、あまりにも気持ちよくて、心がトロトロと溶けるような感覚に襲われる。
それから、食事が届くまで、何回もキスを繰り返した。ぼんやりとした頭で思った。
やっと、私の居場所を見つけた。

それから、彼と会う頻度が週2回程度に増えた。娘は彼のことが大好きで、私よりも彼の手を繋ぎたがる。私はそれに焼きもちをやきながら、娘に隠れて彼とのキスを楽しんでいる。