「あの頃、楽しかったなぁ」
私は、彼の隣で呟いた。
「楽しかったね」
彼はそう言って微笑んだ。
大学を卒業し、社会人となったばかりのこの夏、私と彼は再会した。
遡ること2年前。
大学2年生の春休み終盤に、私と彼は下北沢へ古着屋巡りに出かけた。彼とは同じ地元のバイト仲間だった。
特別仲が良かったわけでもなかったが、唯一の同い年ということで何となく遊びに出かけるくらいには距離が近かった。
プランなんて決めることなく、ブラブラと下北沢を散策していた。
ただ、その時の私は、彼の気を引くことを考えながら「女の顔」を見せていた。
でもそれは、彼女になりたいという可愛らしい理由ではなく、ちやほやされたい、この人を落として優越感に浸りたい、という下衆な理由だったと思う。
そう、当時の私は、誰でもいいから私を愛して、という「愛されたい症候群」を患った、イタい女だった。
デートの余韻に浸り、酔いに任せて電話しようと彼に甘えた2日後の夜
下北デートを終えた夜、昼間の余韻に浸っていたら、なかなか眠れなかった。
ただの友達。ただのバイト仲間。そう思っていたのに、なぜか優しかった彼の言動が頭の中をグルグル駆け巡り、気付いたら朝になっていた。おかげで頭が痛い。私はその日風邪を引いた。
下北デートから2日後の夜、風邪のせいか、はたまた彼のせいか分からなかったが、とても人恋しくなったので強めのお酒を飲んでさっさと眠ろうとした。
しかし、やっぱり忘れられない彼との下北デート。
もうこれはあれしかない……。
私は彼に、「かまって欲しい」という内容のLINEを飛ばした。酔いの力はやはりすごい。
彼は「酔ってるの?(笑)」と笑い交じりの返しをする。
「電話しようよ~」と甘え、すぐに電話を掛ける。
私たちは色々な話をした。
あの日のデートが楽しかったこと、楽しすぎて余韻が抜けなかったこと、1人の時間が寂しく感じたこと、夜更かしをして風邪を引いたこと、バイト先の店長にデートがばれて茶化されたこと、などなど。
時間を忘れて話をしていたら、また朝になっていた。数時間が数分間に感じた朝だった。名残惜しかったが、彼が眠気の限界を迎えたため電話を切って私も昼まで寝た。
その日の夜も電話をしようと約束した。今度は彼からの誘いだった。
心の中でガッツポーズをしながらも、いつも通りの話し方を意識して電話をする。
話が盛り上がり、気付けば恋愛話をしていた。
好きなタイプ、過去の恋愛、今好きな人がいるのか……。
案の定、私はいてもたってもいられなくなり、今日、この勢いに乗って彼と付き合いたいと思った。
これを使わない手はないと思ったエイプリルフールの魔法
深夜0時を回り、私は気付いた。
その日はエイプリルフールである、ということに。これを使おう。そう思った。
早速私は、「そういえば、今日はエイプリルフールだね」と投げかける。
彼は、「それ言ったら嘘付けないよ」と笑っていた。だがこれでいい。
「確かに。でも何か嘘付きたいな~」と笑い返す私。
少し間を空けてから遂に仕掛ける。
「好きかもしれない…なんてね。これ、嘘だと思う?本当だと思う?」
小悪魔にでもなったかのようなよく分からない告白。
数秒間、沈黙が流れる。
そして彼が口を開いた。
「え、それは嘘なの?本当なの?」
割と本気で困っていた様子だった。やってしまった。
焦った私は、とっさに、
「それに対する答えが聞きたいな~」と返す。
なんてはっきりしないんだ。でも彼は予想以上に優しかった。いや、彼も同じ感性の持ち主だったのかもしれない。
「…俺と付き合ってみる?」
その一言に舞い上がり、心の中で2度目のガッツポーズをした。
ついに今日こそは!といういいムードの中で起きた事件
見事付き合うことになり順調だった2人だが、付き合ってから約2か月で事件は起きた。
その日は、彼の家に泊まりに行きのんびりとお家デートを楽しんでいた。
それまでも何度か泊まりには行っていたが、お互い大人の恋愛に慣れていなかったため、夜の営みは軽いスキンシップしかしていなかった。
でももう付き合って2ヶ月。そろそろ本気で交わりたいとお互いに思っていた。
そして今日こそ最後までしようね、といいムードの中、事件は起きた。
ここからが盛り上がる!というタイミングで、彼のスマホの着信音が鳴った。
まさかとは思ったが、彼はその電話に出てしまった。大学の男友達からの電話だった。最悪。今日こそ最後までできると思ったのに。
拗ねた私は布団にくるまり寝たふりをした。正直、告白をした“あの夜”の自分よりも数倍ひどいと思う。
その後、彼は何度も謝ってきたが、結局その日はいつもと同じところで止まり、甘い時間はあっけなく終了してしまった。
その頃から、2人の歯車は徐々に噛み合わなくなっていった。
そしていつしか会う頻度や連絡も減り、価値観が合わなくなり、遂に別れの日を迎えた。
交際期間は約4ヶ月。それでも、お互いのことをたくさん知れたし、本音で話せた相手だった。
「あの頃、楽しかったなぁ」。それは大人になるためにあった数々の夜
あれから2年の月日が経った。
偶然地元で彼に似ている人を見かけたので、その夜、久しぶりに彼に連絡してみた。
正直返事なんて来ないと思っていたが、数分後、通知音が鳴った。
「久しぶり。今地元にいないから違うと思う(笑)」
この答えにホッとしている自分がいた。それは彼じゃなかったことに対する安心感と、彼があの頃みたいに笑って返事をしてくれたことに対する安心感だった。
その後、お互いの近況を話し、会うことになった。復縁する気はお互いさらさらなかったけれど、
「あの頃、楽しかったなぁ」
そう言い合えるようになったのは、紛れもなく、あの夜やあの夜があったからだ。
私たちが大人になるためにあった数々の夜。私はそれらをいつまでも胸に留めておきたいと思う。