人は皆、知らず知らずのうちに選択を繰り返しながら人生を歩んでいる。いわば現在とは大小さまざまな選択の積み重ねの頂点なのだ。
大抵の選択は道に落ちている石ころのように、小さすぎて見逃してしまいがちだ。しかし、その石ころを蹴ったか蹴っていないかで、その後の出来事が大きく変わることもあるだろう。

見逃した選択が数多くあっても、忘れられない、いや忘れてはならない選択というものは確かに存在する。
数年後にそう実感する事になる、ある尊い夜があった。人生を明確に変えてしまった夜が。

進路にピンとこなかった12年前の秋。ボーっとテレビを眺めていると

遡ること12年前の秋。銀杏並木の道に転がる銀杏を避けながら教室へ向かう足取りは、毎日重かった。
高校2年といったら、文系か理系かなんてとっくに決まっているであろう学年。しかし放課後担任と何度も面談をしても、将来やりたいことなんてこれっぽっちも思いつかない。当時想像できた全ての進路にピンと来なくて、もうすぐ受験シーズン1年前のカウントダウンを切るのに、なかなか先に進めずにいた。

そんな踏ん切りのつかない私の姿に、親も大層ヤキモキしていたらしい。やりたいことがないならいっそのこと高校なんて辞めて働こうか、その前にせめて今みたいなパッとしない毎日から抜け出したい、そんなことをいつも思っていた。

冬の足音が近づいたその日、夜はさらに冷え込んだせいか布団に入っても眠れなかった。家族が寝静まったのを確認し、忍び足でリビングに向かい、ただ1人ぼーっとテレビを眺めていた。

一瞬にして目を奪われた美術セット。「これを作りたい」と思った

こういう1人きりの夜によく見ていた深夜の音楽番組を、その日もなんとなくつけてみる。たまたま映し出されたのは、当時見ていたドラマの主題歌を歌うアイドルグループだった。
星空をテーマに描かれた曲に合わせて、アイドルたちが歌って踊る。その後ろに広がっていたのは、濃紺の壁に無数の星屑が散りばめられ、時折流れ星も流れる、まるで本物の夜空のような美術セット。

息を飲むほど美しくて、一瞬にして私は目を奪われてしまった。
同時に1つの気持ちが沸々と湧き上がってきた。
「私、これを作りたいんだ……」
バタバタと大きな音を立てながら慌てて寝室へ行き、寝ている母を叩き起こした。
「お母さん、お母さん、あのね、私……」
母は訳もわからず起きるなり、慌てた私の姿に目を丸くした。

「セットデザイナー(舞台美術家)」と呼ばれるその職業につくには、どうやら美大への進学が望ましいらしい。インターネットの検索結果にはそう記載されていた。
周囲に美大のことを詳しく知っていそうな人物なんて、1人しか思い当たらない。数日後、ろくに話したこともないその1人に会うため美術室の奥の教務室の扉を開け、美大に行くにはどうしたらいいのか必死で尋ねた。

美大受験を決心してから12年。私はあの夜の選択に支えられている

こうして一応の進路が決まり、美大合格を目指す生活が始まった。
その後二年間の浪人生活を経てなんとか美大に入学し、大学院を出てデザイナーとして就職し、今ではデザインの会社を経営するまでに至る。
進学後、さまざまな出会いがあって現状セットデザイナーはやっていないものの、デザインの業界に足を踏み入れようなんて発想に至ったのは、あの夜があったからとしか言いようがない。

美大受験を決心してから12年の間も、足元に転がってきたさまざまな選択に何度も迷った。その度にあの夜の自分の姿を思い出し、なんとか気持ちを整理することができた。
「誰かを感動させるものを作りたい」
17歳の夜、生まれて初めて感じたその思いが、結果的に今の私をなんとか突き動かしている。
もうすぐ30歳になる。おそらくこれからも、あの夜の選択に支えられる。