私は嘘をついている。
「私は国語の教師になって、子供たちに本のおもしろさを伝えたい」と、今日もこの薄っぺらい言葉を当たり前のように吐く。ほんとはちっとも思っちゃいないのに。
アルバイトをして思うことがある。それは働きたくない、学生としてずっと過ごしたい、という現実逃避。
初めは働いてお金を稼ぐことで、自分の好きなものを買えることに喜んだが、就職が頭にちらつき始めた今、もはやアルバイトが社会に出るための訓練な気がして億劫になる。
バイトのシフトが入っている日、毎度のごとくどうやってバックレようか考えるが、バイトの時間になると責任感に背中を押され、結局行く羽目になる。まあ、アルバイトだろうとそこはきちんと守らないといけないので当たり前だが。

本も子供も好きだけど、定年まで国語教師として働くのは無理かも

本は好きだ。子供も好きだ。かといって大学卒業後、定年の60歳になるまで国語の教師として働きたいかと聞かれると「ちょっと無理かも」と思ってしまう。
元の性格が飽きっぽいことがあるかもしれない。しかし、果たしてこの気持ちは私だけなのだろうか。
今のこのコロナ禍で公務員の安定は光る。私の母は教師だが、収入は全く変わらないと言っていた。飲食店なんて閉店、時短営業と収入の変動が激しいことだろう。就職にしても航空やホテル業界といった観光に関わる分野では、採用が厳しいと聞いたことがある。
将来の夢がなかった時、母に「教師になれば?」と提案され、なすがままに教職の授業を大学で履修することにした。文学部に行きたいと母に打ち明けた時だった。
「あんた何になりたいの?」という問いに私は答えられなかった。
「資格を持っとけばなんとでもなる。教師の資格を取りんさい」と母から助言を受けたのがきっかけ。
それからは一旦目標というものができたので迷いは晴れたが、教職の授業を受けるにつれて「こんな私が教師になってもいいのか?」という不安が後ろから押し寄せてきた。

「天職じゃん」。友人の一言で、なぜか肩が軽くなった

少し前、夏休みということもあり、中学校時代の友達と会うことになった。
大学生になれば彼氏ができるということはなく、「彼氏できた?」という質問は「いないねー」という二つ返事で終わりを告げる。
しかし、女子は流石お喋り上手というべきか、それでも昔の話をしたり、アルバイトの話をしたりして結局は5時間ぐらい話していた。塾のアルバイトで生徒にSNSで繋がりたいと言わて困っているという話をしたところ、「それってすごいことじゃない?そんなに生徒に好かれるのってなかなかないよ。天職じゃん」と言われた。
「天職じゃん」
私はその一言で、なぜか肩が軽くなった気がした。

不安になって、迷って当然。仕事というものはなりゆきの延長なのかも

YouTuberのはじめしゃちょーが歌う「YouTuberあるあるソング」という歌がある。その中にある、好きなこと続け、なりゆきのまま仕事をしていくような事を表現した歌詞を思い出した。
たしかにそうかもしれない。YouTuberではないけれど、仕事というものはなりゆきの延長なのかもしれない。少しいいなと思ったもの、ちょっと向いているかもと思ったもの。そんなことで構わないのかもしれない。
周りを見ると小さい頃から憧れてとか、世界の子供を救いたいという大層な夢を持った人がいて、自分はこれでいいのかと不安になってしまうことはあるだろう。
しかし、不安になって当然。迷って当然。だって人生にやり直しなんてないんだから。迷いながらも一歩踏み出せたらそれでいいじゃないか。もっと楽に肩の力を抜いて。そうやって生きていこう。この息苦しい社会で。