私の胸には傷があります。
私は、先天性心室中隔欠損という病気を持って生まれた。心臓の壁に穴が空いてしまって、全身に送るはずの酸素の豊富な血液が、一部肺に戻ってしまう病気だった。
息苦しさや疲れやすさなど、幼い私は自覚していたわけではない。でも、激しい運動等は禁止されていたように思う。
断片的な記憶しかない幼少期の病院での日々。唯一覚えている夜は…
自分が病気であることは察しがついた。みんなは普通に幼稚園に行き、不自由なく家で遊んでいるのに、私は遠い病院に行き、痛い注射を打たれ、入退院を繰り返していたからだ。
心室中隔欠損は珍しい病気ではない。100人に1人の割合で発症する病気だった。大抵の場合、成長していくうちに自然と壁が塞がったり、薬で治ったりする。
しかし、私の場合、病状が重く、自然にふさがる穴の大きさではなかった。そのため、手術が必要だった。
入退院を繰り返していた日々は、もう20年以上前ので、断片的な記憶しかない。
注射を前に大泣きしたこと。病院食のスープに入っていた貝が飲み込みにくかったこと。病院近くのコンビニで、おまけ付きのお菓子を買ってもらったこと。病室で絵を描いたこと。診察を待っているときにレゴブロックをしていたこと。やることがなく暇を持て余していた気がする。
しかし、あの夜だけは覚えている。
手術の前日だ。
暗い病室で、天井を見ていると、母のか細い声が聞こえた。
「……ごめんね。できることなら代わってあげたい……」
当時の私には何のことか理解できなかった。何を代わるのか、なんで代わってあげたいのか。
だんだんと遠くなる意識。目が覚めるといくつもの管が繋がっていた
母の言葉の意味はよくわからなかったが、何か恐ろしいことが起こるんだろうと感じた。天井の細かい線がやたらとはっきり見えたのを覚えている。
翌朝、たくさんの白い服を着た人たちが私の前に集まり、何かをしている。意識が遠のいていくのを感じた。意識が薄れる中、シルバニアファミリーのお気に入りの人形を握っていた気がする。
目が覚めると自分の体から、いくつもの管が通っていた。8時間も手術をしていたみたいだった。
怖かった。恐ろしかった。
天井の細かい線が自分の方へ向かってくるような感覚に襲われた。目を閉じても落ち着かない。
真っ暗闇に自分だけがいる世界に落ち、右も左もわからず、ただ1人でさまよっていた。今思うと、あれが走馬灯というものだったのかもしれない。
それからしばらくの記憶はないが、徐々に自分の体に繋がれていた管が少なくなっていった。いつの間にか、天井の細かい線が気にならなくなっていた。
そして今思う。母があの時言ってくれた言葉の意味。
今でも心に残る母の言葉。愛を伝えてくれた、母に私から伝えたいこと
母は気が強く、物事をはっきり口にする。自信に満ちていて、声も通りやすかった。
そんな母の最初で最後のか細い声。
今でも心の奥底にある。
「……ごめんね。できることなら代わってあげたい……」
あれは、私への愛だった。
私を健康な身体に産んであげられなかったことへのごめんね。
私の病気を代わってあげたい。
私の手術を代わってあげたい。
自分が代わってあげてでも、私を守りたいと感じてくれた母の愛だった。
こんな子私の子じゃない!と突っぱねられたこともあった。手を挙げられたり、物を投げられたりすることもあった。
でも、母のあの夜の言葉は忘れない。
お母さん、
私、病気だったけどお母さんのせいだなんて1度も思ったことないよ。
謝ることなんてない。代わる必要もない。
私は、病気を抱えて生まれてきて、たくさんのことを学んで、考えたよ。
あの経験があったから、病気で苦しんでいる人に寄り添えることができるよ。病気と戦っている人のことを尊敬できるよ。病気のことを考えられるよ。命の大切さを人一倍感じられると思う。
こんな経験、他の人はあまりできないから、大事にしようと思ってる。
愛してくれて、ありがとう。
あの夜のこと、忘れないよ。