私はあまり泣かない方だと思う。
小中高大、どの卒業式でも泣かなかったし、失恋した時でさえ涙は出なかった。
だからと言って全然泣かないわけではない。
映画「7番房の奇跡」、あれは本当に名作だと思う。大学時代、友達4人と1Kの部屋で鼻水を垂らしながらわんわん泣いたし、推しのアイドルのライブでは会えた嬉しさかライブが終わる悲しさか、何の感情かわからなかったがひたすら叫びながら泣いていた。
だから涙が出ない冷たい女だとは思わないで欲しい(必ずしもそんなイメージはないかもしれないけれど)。
そんな私が、最近久しぶりに泣いた。
ただ一粒だけ、ぽろっと泣いた。
たった一粒、涙が出てきたといった表現の方がしっくりくるかもしれない。
希望に職に就くも出来ないことばかり。反省する毎日を過ごしていた
というのも、大学を出て上京し、働き始めて半年。
毎日が初めての連続で、同じ仕事なんて一つもない。
決められたことを淡々とこなすのが性に合わないと分かっていたので、
「どんどん毎日違うことにチャレンジしていきたい!」
「 自分が好きで、楽しいと思えることを仕事にしたい!」
プライドと身長だけは高い私は、そう考えて広告業界に絞り就職活動を行った。就活は散々だったが、何とか希望の職に就くことができた。
たった22年間、そう思われるかもしれないけど、それなりに辛いことも多かった22年。
それを乗り越えてきたし、大学もそこそこ、バイトでも皆から頼られる程度に自分は“できる”人間だと思っていた。だからこそ、激務だと知っていたこの業界でもやっていける自信はあった。
でもやっぱりそこまで甘くはなくて、出来ない事ばかり。
「初めは皆そんなもんだよ、気にしないで」
新入社員のために相談する時間を割いてくれる人事の人達はこう言うけれど、ミスするたびに迷惑をかけてしまったと悔やみ、仕事が遅いので先輩を待たせてしまっては本当に申し訳ないと反省することが毎日だった。
分かっている。新人が何もできないのは。
バイトでもそうだったし(私も含め)、それが当たり前なことは。
それでもやっぱり、申し訳ないと思ってしまうのは仕方がない。
なんせプライドが高いのだから。
そんな精神の中、忙しなく鳴くセミに取り憑かれたかのように、7月の私は毎日を懸命に生きていた。
撮影で使用した道具で火傷。周りに気付かれない私は透明人間みたいだ
7月31日、その日も撮影だった。ついていた案件が忙しかったことに加え、土日に他の案件の撮影が重なり、21連勤になっていた。
コロナ禍ではあったが、その撮影を終えた後に与えられていた8月の1週間の休みで実家に帰る予定だけが救いだった。
これを頑張れば、休める。大丈夫、大丈夫、私なら乗り終えられる。
久しぶりに自分の限界を感じていた。
だから撮影で使用したガスバーナーの先端が熱くなっていることなんて分かっていたし、気をつけていたつもりだった。
でも、不注意でガスバーナーの口が腕に触れた。
鈍っていた脳が熱いと感じるより前に、咄嗟に身体が反応してくれたのが救いだった。
しばらくして脳がじわじわと熱い、痛いと感じるようになってきた。腕が少しづつ赤くなってきていた。それでも今は仕事中で何より撮影中なのだ。
したっぱ社員が火傷をしたくらいじゃ、ほとんどの人が気付かないし、現場はスムーズに回っていく。もちろん、気付いてくれた人も少なからずいて、「大丈夫?」だったり、「すぐに冷やしておいで」と言ってくれたりした。
それでもやっぱり、自分は誰にも気付かれていない透明人間になってしまったような気がした。
それから火傷の痛みも忘れるほどバタついた撮影の後、会社に戻り、ひと段落できたのは朝の4時。
ふと火傷の事を思い出し、腕を見ると水膨れが潰れていた。
働き始めて初めての帰省。本気で心配してくれる母に込み上げた涙
うどんと書かれた暖簾を潜り、ベルトコンベアーの上に乗せられた荷物が次々と運ばれてくる。自分の水玉のスーツケースをずるずるとおろし、出口へ向かう。
夜の便で帰ってきたため、もう夜の21時だった。
空港まで母が車で迎えに来てくれていたので見慣れた車を見つけ、荷物を乗せ、助手席に乗った。働き始めてから初めて帰ったこともあり、車の中ではほとんど仕事の話をしていた。
「見て見て、撮影で火傷した」
火傷の手当ての仕方なんて分からなかったから、そのままにしていた火傷は赤くじゅくじゅくしていたが、もう痛くはなかった。
だから、なんてことない雰囲気を出しながら火傷の跡を見せた。それを見て母は、
「大丈夫?」
たった一言。でも、本当に心配している人の目、眉毛、声だった。
母は泣きそうな顔をしていた。
心配をかけるつもりではなかったのに……。
そうだ、母は私に何かあったら誰よりも心配してくれて、誰よりも辛いと思ってくれる人だった。
「青だよ」
信号がタイミングよく青になってくれてよかった。
本当に心配してくれる人の言葉は、その日の私には響きすぎた。
これ以上心配をかけたくない。そう思ってこみ上げてくる涙を必死に留めて、助手席で一粒だけ涙を流した。