可愛い服を着るのが怖かった私に、"アメリカの母"がくれた服と言葉

10年前の5月、私は東京の大学へ進学した。
東日本大震災で1ヵ月遅れの入学だった。
友だちを作る暇もないまま、少しして語学研修のためにアメリカへ渡った。
慣れない環境の中で、私は勉学に励み、1ヵ月が過ぎていた。
ある日、プログラムの一環で2泊3日のホームステイをすることになった。
私がお世話になったホームステイ先は、アメリカ人の旦那さんと日本人の奥さん、そして犬猫2匹ずつの家庭だった。
初日の夜、奥さんが車で近くのショッピングモールへ連れて行ってくれた。
翌日の食料を買うのかと思っていると、急に奥さんに手を引かれてある場所へ向かった。
洋服のコーナーだった。
「服がいっぱいあるから、ちょっと着てみない?」
私はされるがまま、20着以上の服を試着した。
奥さんはファッションショーを見ているかのように目を輝かせていた。
そして、ある服を着た私を見てこう言った。
「みちるは可愛いから、こういうおしゃれな服が似合うわね」
それは、袖にフリルのついたおしゃれなデザインの黄色いシャツだった。
私が黙っていると「この服買ってあげる」と言って、奥さんがそのシャツをカートに入れようとした。
「買わなくて大丈夫です!」
慌てて奥さんを止めながら、私は過去のことを思い出していた。
高校まで、私はファッションに興味がなかった。
休日も勉強や部活に明け暮れ、着ているのは制服かジャージ、そして部屋着。
制服でもやろうと思えば、他の子たちのように可愛く着こなせたのかもしれない。
スカートの丈を上げたり、安全ピンでリボンをつけたり。
化粧をして来る子も少なくはなかった。
「きっと似合うからやってみなよ」
そう言ってくる友人もいた。
でも、私は「そのうちにね」と言うだけで何もしなかった。
小学校と中学校のとき、私はいじめに遭っていた。
「ブス、キモい」「ウザい、消えろ」
言葉の暴力に苦しみ、自分らしく振る舞えなくなってしまった。
高校に進学してからは、いじめはないものの別の悩みがあった。
勉強や部活で結果を残すと、それをよく思わない子たちから陰口を言われることがあった。
「何であの子が」「弱いくせにムカつく」
精神的につらくなり、笑顔になることが減っていった。
私にとって学生時代の12年間は、消し去りたいと強く思うほどのものだった。
興味がないというのは表向きの理由。
私なんかが可愛い服を着ているのを見られたら、きっと何か言われる。
もう嫌な思いはしたくない。
平穏な生活を送るために、私は諦めたのだった。
地元を離れて上京すれば何か変わると思ったが、いまだに自信を持てないでいた。
奥さんに理由を話すと、私の肩に手を置いた。
「あなたはとても魅力的な女性よ。可愛い服を着たかったらどんどん着ていいのよ」
真っ直ぐな目でそう言うと、奥さんはそのシャツをレジへ持って行ってしまった。
奥さんの言葉に私は涙が止まらなかった。
3日目になり、お別れの日がやってきた。
私は買ってもらった黄色いシャツを着ていた。
奥さんは私にハグしながら言った。
「もっと自信を持ってね。あなたは可愛いから大丈夫」
あれから10年経った今、私は自分に似合うと思う服を自由に着ることができている。
友人や会社の人たちに褒められるたびに嬉しく思う。
ちなみに、あの黄色いシャツは実家においてあり、夏に帰省するたびに着ている。
アメリカのお母さんがくれた言葉とあの黄色いシャツがなければ、ここまで変わることはできなかったかもしれない。
自分らしく生きるために、私は自信を持って今日も着たい服を着る。
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