私の高校3年生の時、教室は、なぜかおにぎりの匂いがした。
「おにぎりの匂いって何?」と聞かれても説明はつかない。ただ白米でもなく、お弁当でもなく、とにかくおにぎりの匂いがしたのだ。

私の通っていた高校はいわゆる「自称進学校」だった。「受験はチーム戦」と謳い、3年生にもなれば強制的に受験モードの雰囲気になっていた。
「チーム戦(笑)」と斜に構えていた私も、3年生になれば例に漏れず「受験生」になって、それまで以上に勉学に励んだ。
それと同時に私は「JK」でもあった。制服も盛るし、バレない化粧もするし、先生がいないところではスカートも折る。ダイエットのために昼食と夕食は少量のおかずのみだった。
……今考えれば当たり前だが、そんな食生活のせいで少しずつ生活に支障が出てきた。貧血で下校後すぐ部屋に倒れ込む。勉強が頭に入らない。何もかもイライラする。
そんな私を見かねた母親と塾の先生に諭されて、私はダイエットを中断し、食生活を正していった。

教室で感じるおにぎりの匂いは、教室にいる時間が伸びるほど強くなる

それからだ。
教室に入るたび、おにぎりの匂いを感じるようになったのは。
当初は自分の持ってきたおにぎりが匂うのだと思いこんでいた。しかし、おにぎりを食べ終わった後も、私がおにぎりを持っていない日も、教室はおにぎりの匂いがした。

私は放課後すぐに塾に行っていたが、放課後教室に残って勉強している人もいたようだ。お昼が終わってもおにぎりの匂いが残るのは、彼らが間食用に持っていたおにぎりが原因だったのだろう。
自学自習ができるタイプであった私は、放課後の教室で「一緒に勉強しようぜ!」と言ってる人たちなんてどうせ結局無駄話で終わってしまうパターンだろうと思っていた。
しかし、たまたま放課後の教室に立ち寄ったとき、彼らはきちんと勉強をしていることを知った。励まし合ったり、情報交換したり、息抜きしたり。
「自律!」「自学自習!」「自分以外はライバル!」と肩に力が入っていた私だが、「そういう青春もいいな」なんて思えた。
それから私はときどき教室で勉強するようになった。持参するおにぎりが増えて、教室のおにぎりの匂いはより強くなった気がした。

炊飯器のようなぬくもりと匂いが「受験生」をしていた私を安心させる

受験が始まってくると、学校は自由登校になった。自由登校にもかかわらず私は青春をしに、否、勉強をしに、切れるような寒さの中、自転車を45分間も漕いで登校していた。
教室は生温かく、まだ人も少ないのに不思議とおにぎりの匂いがした。炊飯器を開けたときのようなぬくもりと匂いが、頑なに「受験生」をしていた私にとって安心できるものになっていた。
自由登校でわざわざ登校してくる人は少なく、だいたいいつも同じメンバーが揃った。
お昼になればおにぎりを食べ、いつまでもお喋りしていたい気持ちを抑えて、誰からともなくまた机へ向かった。
私立大学の受験がいくつか終わってくると、登校する人も減っていった。それでもなぜか、登校するたび教室のおにぎりの匂いはなくならなかった。

「受験はチーム戦」というキャッチコピーは、間違いではなかった

負けず嫌いな私は、自分以外の受験生は全員ライバルだと思っていた。もちろんそれは間違いではないが、だからといって独りで戦わなければいけないわけでもない。私が鼻で笑っていた「受験はチーム戦」というキャッチコピーは、あながち間違いではなかったのだ。
おにぎりを作って持たせて受験生を見守る親。
そのおにぎりを一緒に食べる仲間。
互いに励まし合い、高め合うことで他校より秀でた受験生になる。
まるで子どものスポーツクラブのような関係性は、紛れもなく「チーム戦」だった。

高校の教室のおにぎりの匂い。
共に学び合う仲間がいる安心感を教えてくれたあの匂いを、大人になった今でもときどき思い出す。